フルシャ指揮の都響 ブラームス3番、スーク交響詩『人生の実り』@東京芸術劇場 ― 2017/07/23 11:18
昨日(7月22日)は焼け付くような暑さの中、池袋の芸術劇場で都響を聞いてきました。ヤクブ・フルシャって指揮者はあまり印象にないんですが、このブログの過去の記事を調べたら、去年の12月にドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲とマーラーの1番を聞いたみたいです。ほとんど記憶にないんですが、若くて溌剌として、でも、外連味たっぷりな音楽をやっていたとか、書いてありました。ふ〜む。
昨日は演奏会の前半からブラームスの3番。曲目としては結構重いですね。でもこれが意外に引っかかりがなくて滑らかな演奏。サクサクと進んであっという間に終わってしまった感じ。都響にしては珍しく金管がかなり乱れていましたが、音楽が何しろスラスラ流れて、こちらの耳を刺激する瞬間がまるでないので、じっくり味わうなんてことはもってのほか、聞いていて面白さはまるでなかったです。言ってみれば「エレベーター・ミュージック」の類い。ほとんど人の気を引かない演奏と言ったらいいでしょうか。たとえる必要もないかもしれませんが、先日聞いたミヒャエル・ザンデルリンク指揮のドレスデン・フィルの演奏を思い出しました。あれも春の小川のようにサラサラ流れるブラームスだったなぁ。
後半はスークの交響詩『人生の実り』。大曲です。3管編成に打ち物各種、ラッパの寅さんも大勢加わっていました。出だしの弦のディヴィジが多分この作曲家の独自の世界なんだと思います。まあ、各プルト毎に違うことをやってるし、そのうち、同じプルトの内外でも別のことをやり始める。恐ろしく緻密に(?)書き込まれた響がしていました。ただ、その緊張感が最後まで持続するかというと、まあ数分なんですねぇ。わけがわからないんで、プログラムを読み始めたんですが、日本語の解説と英語の解説はまるで別物で、日本語では5つの部分からなっているとされているにも関わらず、5番目については一言も言及無し。英語の解説では6つの部分からできているんだと、一体何なんだ。まあ、人によって感じ方は違うんでしょうから、どうでもいいことなんでしょうが、何とも捉えどころがない音楽。ボヘミアとかチェコのムードが漂っているわけでもないしなあ。これだけの大編成のオケが目一杯鳴らしてもほとんど面白くないし、何も伝わってこないというのは、演奏者に問題があるんじゃなくて、やっぱり作曲者の才能の問題なのかもしれない。滅多に演奏されないのにはちゃんとした理由(わけ)があるってことだと思います。
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昨日の最高気温34.2℃。今日は曇りがちで、午前中はまだ30℃に届いていません。
この暑いのに芝生は多少伸びています。
約2週間振りに芝生を刈ることにしました。
大して伸びているわけでもないんですが、刈るとすっきりします。
まだ多少はストライプが出ます。薄くですが…
15分ほどで作業終了。
その後、約3週間ぶりにバリカンでエッジを刈りました。
夏が終わるまでもってくれるといいんですが。
チャイナ・ドール
マリーゴールド
マツバボタン
一房残ったサルスベリの花
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