7/13 ドビュッシー:『ペレアスとメリザンド』@新国立劇場 ― 2022/07/14 12:56
演出のケイティ・ミッチェルは、芝居全編をメリザンドの夢として捉えるということで、ただでさえ難解なメーテルリンクの芝居を一層不可解にして、全ては夢落ちでしたとするのが意図なんだそうだ。ただし普通の意味での夢落ちといえば、最後にこれは夢の中でのお話でしたと種が明かされるんですが、この演出では最初から素性の知れぬメリザンドが夢の中で演技を始めているという点が異なります。まあ、メーテルリンクといえば『青い鳥』なんてのもかなり難解な代物ですが、この『ペレアスとメリザンド』もストーリーが有るようなないような不可解な舞台を、一層難解でわかりにくくするのにこの演出が一役買っていたというべきでしょうか。神秘主義というのか、象徴主義というのか、あるいはスキゾの極みともいうべき分身の術を使って、観客を混乱させるのが演出家の趣旨だったのかも知れません。
舞台は上下に二分割、更に左右にも不均等に二分割されて、各々の場面はかなり限られたスペースで進行していきます。せっかくの大劇場をわざわざ狭く使ったのには、中世風の物語をあえて換骨奪胎し、20世紀のブルジョワ家庭内での身辺雑事に終始させようとした演出家の意図が感じられます。舞台の分割はイギリスでは大流行のようです。
大野指揮の東フィルは形のない音楽の写実的なあるいは象徴的な音作りには成功していたと思われます。ゴローのロラン・ナウリはさすが。ペレアスのベルナール・リヒターも美声でありながら敢えて汚れ役って役どころをよく演じていました。期待の星かも。メリザンドのカレン・ヴォルシュの縮緬がかかったようなビブラートはちょっと耳障り。アルケル王の妻屋秀和は深いバスの声で、やや心もとないブルジョワ家庭の当主を好演していました。そのほかジュヌヴィエーヴの浜田理恵もしっとりとした語り口で母親役を演じておりました。
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