新国立劇場 『フィレンツェの悲劇』&『ジャンニ・スキッキ』 ― 2019/04/18 16:12
昨日4月17日は二国でダブルビルを見てきました。演目はツェムリンスキーの『フィレンツェの悲劇』とプッチーニの『ジャンニ・スキッキ』。今回の上演の千秋楽だったみたいです。スタッフ&キャストおよび動画はこちら。舞台写真はここ。
『フィレンツェの悲劇』は『サロメ』と同じオスカー・ワイルドの原作。舞台は16世紀。舞台のしつらえ、衣装等々はかなり原作の時代に忠実な印象を受けました。フィレンツェのドラマなのに、始まるといきなりドイツ語で歌が始まる。初めて見るオペラなんで、ここですでに違和感ありあり。でも三角関係の中心に位置するビアンカはルネサンスの絵画から飛び出してきたような衣装。浮気相手となる大公のセガレ、グイードも同様に貴公子然とした衣装。ビアンカの旦那シモーネはいかにも商売一途の実直な商人といった役どころなんですが、なぜかちょっとマッチョっぽい風体。まあ言葉と視覚のギャップはともかく、ワーグナーだとこのような人物設定で1時間芝居した揚げ句に、男同士の果たし合いは次の幕ってことになるんですが(ワルキューレ)、ツェムリンスキーは1時間で起承転結をまとめ上げています。商人が家に帰ってくると知らない男が女房と一緒にいる。一体どういう関係だ? シモーネはグイードの腹を探りにかかるんだけど、まあ最初から関係は見え見えと言えなくもない。貴族のグイード相手に商人のシモーネが決闘を申し入れ、刀でも短剣でも勝負が付かず、結局シモーネは相手に馬乗りになり、素手で絞め殺す。シモーネは「次はお前だ」と女房に向かうが、ビアンカは恍惚とした表情で、「あんたはなんて強いの」と旦那の強さに惚れ込み、シモーネもビアンカの美しさに気づいて、メデタシ・メデタシ。ん? 実は悲劇と銘打ったハッピーエンドなんですよ。ツェムリンスキーの音楽もリヒャルト・シュトラウスばりの粘りと、うねりと、めくるめく旋律美で、この不可解な物語を何となく納得させてしまう官能美に溢れていました。洗礼者ヨハネの首を求める『サロメ』の世界にちょっと通じるものがあります。
舞台装置・衣装など視覚的要素は実に魅力的でした。シモーネのレイフェルクスが体調が万全ではない旨、開幕前に告知がありましたが、どうしてどうして堂々たる声と立ち回りで強い男を演じていたと思います。グイードのグリヴノフはちょっとひ弱な貴族のお坊ちゃまといった役どころをうまく歌で表現していました。ビアンカの斎藤純子という人は男声二人と対等以上の存在感を見せてくれました。細やかな表情もさることながら、商人の妻として芯の強さ、また女性としての自我の強さをみごとに表現していました。舞台装置もリアリティーのある華やかさ、使っている布の質感が素晴らしかったです。
打って変わって『ジャンニ・スキッキ』は正真正銘の喜劇。と言ってもコメディア・デラルテ風の喜劇。オリジナルの時代設定は1299年だそうですが、当時の時代衣装で多彩な登場人物の出自を描いても現代人にはピンとこないというわけでしょう。今回の舞台は1950年代の(食うや食わずではなくて)ちょっとは遊ぶ金も持っていそうな人々が登場していました。喜劇ですが、幕が開くとフィレンツェの商人の豪邸。主のブオーゾ・ドナーティがたった今息を引き取ったところ。人が死んで喜劇が始まる。親戚一同が集まって、遺言状を捜索。やっと見つけた遺言状にはなんと、「葬式は金に糸目をつけるな。財産は全額修道院に寄付のこと」と記されていた。親族の一人リヌッチョが恋人ラウレッタの父親で機転が利くジャンニ・スキッキを呼ぼうと言い出す。すったもんだがあって、ジャンニ・スキッキが死んだブオーゾになりすまし、往診に来た医者にまだブオーゾが生きているように見せかけ、さらに公証人を呼んで遺言書を作らせる。しかも「これ以外の遺言は全て無効」の一言を入れるのを忘れない。
親戚一人一人の遺贈の取り分を定め、さらに一番金目の「ロバ、屋敷、粉ひき場を友人ジャンニ・スキッキに贈る」と遺言書に書かせる。この期に及んで親戚一同は猛反発するが、「遺言を書き換えた者は手首を切られ、フィレンツェを追放」という掟を盾に、「お前らも共犯だ」と脅して黙らせる。こんな感じに数多くの登場人物が勝手にしゃべり、自分の取り分を主張する修羅場の中で、天から降り注ぐ一条の光明のようにラウレッタのアリア「私のおとうさん」が歌われる。グロテスクな芝居の中でこの1曲だけが美しい。まあそんなドタバタ劇ですが、演出の粟國淳が数多い登場人物をみごとに交通整理して見せ、すっきりとしたステージに仕上げていました。床全体が巨大な書き物机になっていて、中央には本が一冊。机の端には巨大な筆記用具や、公正のシンボルである天秤ばかりなどが所狭しと並べられ、向かって左側の引き出しは実際に開いて人が出入りすることもできる大きさ。中央の本の上にブオーゾの死体が転がっているんですが、ページを開くと実はこの本が『神曲』であることがわかるという仕掛け。しかも「地獄篇 Inferno」という落ちまで付いています。このオペラの大元は『神曲』地獄篇の第30歌。そこら辺も意識してのことでしょう、芝居が終わってエピローグ、ジャンニ・スキッキの口上に曰く、「この企みで私は地獄行き、でも皆様にお愉しみいただけたなら、ダンテ殿のお許しを得て、情状酌量していただきたい」。
こちらもプッチーニ晩年らしい巨大オーケストラが表現主義的お涙頂戴メロディーをかき鳴らすと、数多くの登場人物が不思議と整理されて芝居の中に溶け込んでいきます。ジャンニ・スキッキのカルロス・アルバレスはさすがの存在感。ラウレッタの砂川涼子とリヌッチョの村上敏明のコンビも若い恋人たちを楽しく演じていました。はしのえみとムロツヨシといった雰囲気。だんまり役ですが、ブオーゾの死体を演じた有岡蔵人ってのも、だら〜んとした骸の雰囲気をコミカルに演じていました。沼尻竜典指揮の東フィルも舞台に寄り添って楽しい音楽を聴かせてくれました。今シーズンの二国では飛び抜けて面白い公演だったかと思います。
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本日の最低気温14℃、最高気温24℃。すっかり初夏の空気です。今日は今年初めてバラの消毒をしました。いよいよバラも芝生も病気との闘いが始まります。
春爛漫
ツツジの花がかなりほころんできました。
ヴェロニカもまだまだ元気。
芝生の緑も濃くなってきました。
今日はピーカンです。
アイリスの花が増えてきました。
ケマンソウ。ヨーロッパだとbleeding heartなど血の滴る心臓ってイメージになるんですが、日本ではお寺の装飾品の華鬘だとか、鯛と釣り竿に見立てて「タイツリソウ」って言います。どちらかというと日本よりはヨーロッパの庭園に多い花だと思います。
モミジは葉っぱが出そろって、真っ赤な新芽からちょっと落ち着いた色になってきました。
オールド・ブラッシュのつぼみ。チラホラ開いてはいますが、もうすぐ一斉に咲き出しそうです。
カラス殿におかせられては、えらくご立腹の様子。よほどチューリップが腹立たしいか?
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