メーデー2011/05/01 17:40

ヴァルプルギスの夜が明けると5月1日。メーデー。我が家の庭では黄色いモンスターが徘徊しております。


中国バラのオールド・ブラッシュもどんどん咲いています。

シランも開花まで秒読み。

この日、パリはもちろんメーデーでお休み。花屋もやってません。しかし、門松は立てなくても愛する人にスズランを贈る風習だけは忘れないのがフランス人。「ミュゲ、ミュゲ」の声とともに、町中にスズラン売りが出現します。一説によると、この日だけは許可なしで街中で行商できるっていう話らしい・・・あるいは貧乏学生が森に出かけてスズランを取ってきて売っているという、まことしやかな話もあります。我が家のスズランは今年はまだつぼみ。今年はちょっと寒かったですねぇ。

で、今日の音楽は、「聞け万国の労働者」。

メーデーを労働者の祭典と呼ぶようになって久しいですが、組合活動の闘士に言わせれば、「冗談じゃない。労働者の団結と闘いの日です」と切り返されそうです。1886年5月1日に、シカゴで8時間労働を要求して統一ストライキが行われました。中学校あたりの教科書では、これがメーデーの起源とされているんじゃないでしょうか。そして1890年に労働者の団結と連帯を示す日として、アメリカやヨーロッパ諸国で第1回メーデーが行われました。日本でも最初の頃のメーデーは8時間労働が大きな争点だったみたいです。このメーデー歌の歌詞も、内容はストライキの歌ですね。

聞け万国の労働者(メーデー歌)

【作詞】大場 勇
【作曲】栗林 宇一 

聞け万国の労働者
とどろきわたるメーデーの
示威者に起る足どりと
未来をつぐる鬨の声

汝の部署を放棄せよ
汝の価値に目醒むべし
全一日の休業は
社会の虚偽をうつものぞ

永き搾取に悩みたる
無産の民よ決起せよ
今や廿四時間の
階級戦は来りけり

起て労働者奮い起て
奪い去られし生産を
正義の手もて取り返せ
彼らの力何物ぞ

われらが歩武の先頭に
掲げられたる赤旗を
守れメーデー労働者
守れメーデー労働者

一番と五番は「今ヨーロッパに妖怪(モンスター)が徘徊している・・・」に始まり、「万国の労働者団結せよ!」で終わる、いわゆる歴史上最古のマニフェスト、『共産党宣言 (Das kommunistische Manifest)』そのもの。資本論を全部読み通した人は経済学部の学生でもそうは多くないでしょうが、二番から四番はその『資本論』の第1部、「資本の生産過程」をみごとに要約しています。結構なエリートが作詩したのかと思いきや、「1922年、第3回メーデーのために公募された新メーデー歌として、当時池貝鉄工所の労働者がストライキを決行する中で作詞されたものです」と説明したページがありました。メロディは軍歌からの借用みたいです。

演歌2011/05/02 22:34

今日は芝を刈ってから、花壇と芝にたっぷり散水。芝刈りは中2日です。
オールド・ブラッシュ、カクテルに続いて咲き出したのは、やはりつるバラのスペクトラ。

それから赤いミニバラも咲き始めました。

この花は何でしょう? 確か2月頃農協の売店で買ってきたんですが、庭に植えたら寒さで枯れてしまって・・・でも今頃になって復活して花を咲かせています。

近くの遊歩道のカクテルがずいぶん咲いていました。日当たりは悪いし、手入れはしないでほったらかしにされているバラですが、うらやましいくらい元気です。

いつもよく見かけるブチネコさんに会いました。今日はいつもとちょっと違う様子。


とそこに・・・あんた

あの娘の

なんなのさ?

なぜ突然演歌の話になるかというと、昨日紹介した「聞け万国の労働者」の歌詞です。七五調でたたみかけるような調子。どこかに似たような曲があったなぁって考えていたら、思い出しました。いぇ〜い (=^^=) じゃぱにーず・らっぷ

* 川上音次郎の「オッペケぺー節

明治時代、藩閥政治を批判する自由民権運動の高まりに対して、当局は言論弾圧をもってこれを封じ込めようとしました。このような取り締まりをかわすために歌に批判を託したのが演説歌。これを縮めて「演歌」と呼ぶようになり、それを歌う人は演歌師と呼ばれました。今日二番目のリンクは、最後の演歌師と言われた人の歌。

* 桜井敏雄の「オッペケぺー節

この人、デパートの屋上のビアガーデンなんかで、ヴァイオリンを弾きながら歌っていました。オッペケぺー節はラップというのか、シャウトというのか、メロディーはあるようなないような、不思議な曲ですが、こちらはちゃんとしたメロディーがあります。

* 桜井敏夫の「東京節

いわゆる「演歌」の典型的な特徴がここに出ています。七五調の歌詞と、ヨナ抜き音階によるメロディー。長音階の4度と7度の音を使わないドレミソラ(あるいは、短音階ならラシドミファ)という音階ですね。いかにもすっきりした説明に見えますが、ヨナ抜きっていうのは多分西洋音楽の方から見た言い方で、邦楽の音律とは全く異なります。それはともかく、あの「聞け万国の労働者」と「東京節」どこかとっても似ていませんか? 軍歌もこのヨナ抜きでできている曲が多いのは確かなんですが。

ラメチャンタラ ギッチョンチョンで パイノパイノパイ2011/05/03 17:25

昨日はつぼみだったシランが咲きました (=^^=)ノ
シランのつぼみ

一日どんよりとした空模様でしたが、我が家のネコサンズは庭を走り回っていました。
花とトムピリさん。

トムピリさんの屈伸運動。前伸び。


後ろ伸び。

花とクロかあちゃん。

親子水入らず。

え〜と、昨日「東京節」として紹介した曲、パイノパイノパイとか、ラメチャンタラ・ギッチョンチョンデとか、何となく題名とは別の、ナンセンスソングというか、コミックソングというのか、そんな感じで歌われていますね。思うに、エノケンが歌ったあたりからコミカルな感じになってきたんでしょう。

歌詞はいろいろあって、よくわからないんですが、多分こんなような感じです。

【東京節】添田さつき(知道)作詞

  東京の中枢は丸の内 日比谷公園 両議院
  いきな構えの帝劇に いかめし館は警視庁
  諸官省ズラリ馬場先門 海上ビルディング 東京駅
  ポッポと出る汽車 どこへ行く
  ラメチャンタラ ギッチョンチョンで パイノパイノパイ
  パリコトパナナで フライフライフライ

  東京で繁華な浅草は 雷門 仲見世 浅草寺
  鳩ボッポ豆売るお婆さん 活動 十二階 花屋敷
  すし おこし 牛 天ぷら なんだとこん畜生で お巡りさん
  スリに乞食に カッパライ
  ラメチャンタラ ギッチョンチョンで パイノパイノパイ
  パリコトパナナで フライフライフライ

  稼いでも稼いでも喰えないに 物価はだんだん高くなる
  物価は高いのに子はできる できた子供が栄養不良
  いやにしなびて青白く あごがつんでて目がくぼみ
  だんだん細くやせてゆく
  日本米は高いから パイノパイノパイ
  南京米や朝鮮米で ヒョロリヒョロリヒョロリ

  東京で自慢はなんですね 三百万人うようよと
  米も作らずに暮らすこと タジれた市長を仰ぐこと
  それにみんなが感心に 市長のいうことをよく聞いて
  豆粕食うこと 痩せること
  シチョウサンタラケチンボで パイノパイノパイ
  洋服も ツメエリで フルイフルイフルイ

  東京の名物満員電車 いつまで待っても乗れやしねえ
  乗るにゃ喧嘩腰いのちがけ ヤットコサとスイタのが来やがっても
  ダメダメと手を振って 又々止めずに行きやがる
  なんだ故障車か ボロ電車め
  ラメチャンタラ ギッチョンチョンで パイノパイノパイ
  パリコトパナナで フライフライフライ

  東京にも裏には裏がある 鳥も通わぬ島というが
  おてんとさまも影見せぬ 暗くて臭くて穴のよな
  犬の小屋かと思ったら どういたしまして人間が
  住んでおります 生きてます
  衛生論も 体面論も パイノパイノパイ
  パリコトパナナで フライフライフライ

4番で「タジれた市長」と歌われているのは田尻稲次郎。
作詞の添田さつきという人は、演歌師添田唖蝉坊の息子です。どうも息子の方はかなりの音痴だったらしい。

その父親添田唖蝉坊の歌い回しに近いと言われている人の東京節。

* 大工哲弘の「東京節

もう一つおまけ。

* 大正野球娘(鈴川小梅)の「東京節

東京節2011/05/04 17:10

バラではカクテルがぼちぼちって感じです。
カクテル

クローズアップしたときの花色って、1日しかもたないんで、ある程度ボリュームが出てきて、マスの彩りがないとちょっと寂しいですね。
カクテル

ノースポールの中からシランがにょきにょき。

オールド・ブラッシュはかなり華やかになってきました。
オールド・ブラッシュ

さてさて「東京節」ですが、各人各様ちょこっとずつ歌い回しが違っているのに気づいたでしょうか? 例のヨナ抜き音階の話に戻るんですが、小梅と桜井敏雄の歌は完璧に4度7度を避けています。つまり「蛍の光」とか「夕空晴れて秋風吹き(故郷の空)」の音階。ところが添田唖蝉坊に似ていると言われる大工哲弘の歌い回しでは、二カ所4度を踏んじゃっています。1番でいうと、「いきな構えの帝劇に」の「構え」の「か」の音、「海上ビルヂング」の「ビ」の音。

まあ、これ以上説明を加えても冗長でしょうから、原曲を披露します。


南北戦争の北軍のシャーマン将軍が展開した「海への進軍」という焦土作戦を歌った曲です。映画「風と共に去りぬ」にアトランタ炎上シーンがありますが、あの火をつけたのがシャーマンという人物。ジョージア州を西から東まで進軍する間に、徹底して焼き尽くし、破壊し尽くすという作戦で北軍を勝利に導いた将軍。いわばその後の米軍の作戦の基礎を築いたといってもいいでしょう。南部の人からはいまだに恨まれている人物のようです。ちょっと聞くと、典型的なカントリー&ウェスタンの響きなんですが、アイリッシュやスコティッシュの色合いが比較的少ない音階ですねぇ。

「東京節」も最初はオリジナルのメロディーで歌っていたんでしょうが、次第に日本化(?)して、いつの間にか4度を避けた歌い回しに変わっていったんでしょう。

シューマンのピアノコンチェルト2011/05/05 23:30

今日も一日どんよりとした天気でした。でもちょっと涼しくて、いろいろ百姓仕事がはかどりました。芝生がぼうぼうになっていたんで、まず芝刈り。特にエッジは10日ぐら刈ってなかったんで、バリカンの刃が詰まるくらい伸びていました。これを刈るのはかなりのアルバイト。

週に一回はボーダーも処理しないといけないですね。とにもかくにも、すっきりしました。


芝を刈った後はバラの消毒。今の時期、気温がさほど高くないんでダコニールが使えます。これは副作用や連用障害が出ない薬なんでとても重宝。それから芝生にも今年初の薬剤散布(タフシーバ)。

玄関先のスズランは今日になってやっと咲きました。
スズラン

スズラン

名前を忘れちゃった薄紫の花。毎年日陰でけなげに咲いています。



ディヌ・リパッティのピアノ。カラヤン指揮、フィルハーモニア管弦楽団。1948年4月9日—10日。@アビーロード、No.1スタジオ、ロンドン。
今日は説明の余地のない名演。リパッティが32歳で亡くなる2年前の演奏。録音から60年以上経っていますが、いまだにこれを凌ぐ演奏は出てこないですねぇ。