F. レハール:『メリー・ウィドウ』 @東京芸術劇場 ― 2015/02/23 13:50
昨日2月22日(お、ネコの日だ)は、池袋の芸術劇場で『メリー・ウィドウ』を見てきました。公演情報はこちら。
定期的なのか不定期なのかよく知りませんが、昨年は『こうもり』、その前は『カルメン』、ずっと前には『カヴァレリア・ルスティカーナ』なんかも見た記憶があります。今回の『メリー・ウィドウ』は去年の『こうもり』と全く同様に、舞台を現代の東京に設定。金融緩和による外資の導入で経済発展を遂げていた東南アジアの小国ポンテヴェドロは、ただ今経済危機のまっただ中。その東京の大使館でドタバタ喜劇が始まるといった次第。
スタッフ&キャストを一応コピーしておきます。
出演
ミルコ・ツェータ(ポンテヴェドロ国の東京駐在公使):セバスチャン・フップマン
ヴァランシエンヌ(日本出身のツェータの妻):小林沙羅
ダニロ・ダニロヴィッチ(大使館の書記官):P.ボーディング
ハンナ・グラヴァリ(日系ポンテヴェドロ人で資産家の未亡人):小川里美
カミーユ・ド・ロジヨン(フランス人):ジョン・健・ヌッツォ
カスカーダ(日本人):城 宏憲
ラウール・ド・サンブリオシュ(日本人):晴 雅彦
ニェーグシュ(大使館の参事官):戸田ダリオ
ボグダノヴィッチ(ポンテヴェドロ領事):新井 克
シルヴィアヌ(領事夫人):武藤直美
クロモフ(ポンテヴェドロ公使館参事官):津田俊介
オルガ(参事官夫人):外山 愛
プリチッチ(ポンテヴェドロの退役陸軍大佐):根本龍之介
プラスコヴィア(大佐夫人):石井 藍
スペシャルゲスト:メラニー・ホリディ
指揮:ミヒャエル・バルケ
管弦楽:読売日本交響楽団
コーラス:東邦音楽大学合唱団
ダンサー:
山井 絵里奈、 高岡 優貴、 石橋 静河、岩崎 美来、
宮河 愛一郎、竹内 英明、宮原 由紀夫、傳川 光留
演出・台本
茂山童司
振付
小尻健太
簡単に印象を述べると、ものすごくチープなプロダクションでした。ポンテヴェドロ大使館はまるで、池袋のスナック「大使館」。第3幕は錦糸町のキャバクラ「マキシム」。予算が限られているのはわかる。でもあの衣装は何だ? 色つきのビニールを縫い合わせた珍妙な燕尾服やらドレスやら。演出家がオペラのドラマトゥルギーをまるで理解していないみたいで、松竹だか吉本だか、大衆演劇の世界に引きずり下ろしてくれば楽しいに決まっていると思い込んでいたみたい。ハンナの口から「アリストクラティー」という言葉が何度も発せられるように、この芝居は平民と貴族との階級の違いが前提になっている話。謹厳実直な外交官が、ドタバタを繰り広げるからこそ面白さが滲み出てくるわけで、最初からスラップスティックな設定で始まってしまうと、この芝居の持っているユーモアも諧謔味も批評精神も台無し。そういった背景をこの演出家は全然わかってないねぇ。これでギャラもらっているとしたら、はっきり言おう、奴は詐欺師だ、能無しだ。すっこんでろ。
やたらとパーティーのシーンが続くので、群衆の扱いも見所ですが、これがまた酷い。もうちょっと自然な動きができないものだろうか。
『メリー・ウィドウ』と言えばカンカン踊り。これも予算がないのはわかる。でもあのおざなりなダンスは何だ? 目障り。
少人数のオケ(読響)はよく鳴っていました。と言うのも舞台上の反響板をかなり低い位置まで下げているため。サントリーなんかと違って、ただでさえ響きが豊かなホールですから、歌手の声もオケの音も反響板の下で渦巻いて飽和状態。当然のこと歌手の声もビンビン響くんだけど、風呂場で歌っているような奇妙にくぐもった音。特にこのオペレッタ、音楽よりもセリフをしゃべっている時間の方がずっと長いわけですが、その肝心のセリフがほとんど聞き取れない。ヴァランシエンヌが落とした扇を巡って、その持ち主を詮索するあたり、この芝居で一番笑いを取れるところのはずが、セリフが聞き取れないので客席がまったく沸かない。基本的に地のセリフは英語、日本人同士の会話では日本語、歌はドイツ語と切り分けていましたが、セリフは聞き取れないので、何をやっても全く無意味。ホントに馬鹿馬鹿しい台本でした。
ハンナの小川里美っていう人が、英語がかなり苦手らしくて芝居に入っていけないみたいでした。はっきり言うと「大根」。ハンナは結婚して1週間で相手のジジイが莫大な遺産を残して死んじまったんですよ。だからもう気分ルンルン。それがこの芝居の題名。そういう雰囲気がまるでない。「ヴィリア」はちょっと聞かせてくれましたが、あとはまあ、ほとんど印象なし。
ヴァランシエンヌの小林沙羅がよかったねぇ。確か去年は『こうもり』でアデーレを歌った人。なかなか芸達者で、グリゼットの歌からカンカンにかけて場をかっさらっていきました。カンカンもダンサーより足が上がってた。
大使のツェータ男爵を歌ったフップマンは、昨年『こうもり』のファルケをやった人だと思うんだけど、声がこもって歌が映えないし、セリフもほぼわけわからん状態。チープな衣装も相まって、大使閣下の威厳がまるで感じられないから、コキュの間抜けさも生きてこない。
ダニロのボーディングは立ち居振る舞いも歌声もぴったりの配役。粋な芝居がなかなかうまい。でも何度も言うけど、あの衣装はなんとかならないものか。
指揮のミヒャエル・バルケ、音楽が少ない出し物ですが、ここぞってところで泣かせ節を見事に聞かせてくれました。
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ちょうど昨年暮れからメトで『メリー・ウィドウ』のニュー・プロダクションが上演されているそうで、まさに今、日本でもライブ・ビューイングをやっているんだとか。メトの「グリゼットの歌」からカンカンのシーン。昨年12月29日のゲネプロ。
メトのトレーラー。
ジュネーブ大劇場のゴージャスなフィナーレ。
メトの向かい側、大衆オペラの殿堂ニューヨーク・シティ・オペラの第2幕冒頭です。ビヴァリー・シルズのハンナが勇壮なポロネーズのリズムに乗って登場し、トランペットのファンファーレに導かれてヴィリアの歌へ。幕が上がると思わず観客のため息と拍手が起こります。日本では絶対にない反応。演出家って舞台上のすべてに関して責任がある立場のはずですが、昨日の池袋の演出家は視覚効果に関して我関せずという立場だったみたい。悲しいですね。ところでシティ・オペラって確か2〜3年前に倒産したはずですが、その後どうなったのかな?
ヴィリアという妖精、若い男を拐かすところが『ジゼル』に出てくるウィリを連想させますね。もちろんウィリは怨念にどっぷりと漬かった精霊(死霊)ですが・・・
同じ舞台から「メリー・ウィドウ・ワルツ」
ホロストフスキーとフレミングでメリー・ウィドウ・ワルツ。
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