ヴィヴァルディ:『メッセニアの神託』 ビオンディ+エウローパ・ガランテ2015/03/02 16:56

2月28日と3月1日は横浜まで遠征。県立音楽堂でヴィヴァルディのオペラ『メッセニアの神託』を見てきました。同じヴィヴァルディのオペラ『バヤゼット』をやったのが2006年だったそうで、9年ぶりのオペラ上演。『バヤゼット』はいまだに語りぐさになるほどの名演でしたが、今回の『メッセニアの神託』もすごかったですねぇ。バヤゼットと比べてストーリーはわかりやすい。嘘と裏切りの物語。ストーリーはここを参照してください。 スタッフ&キャストはこちらです

まず音楽。ビオンディ指揮のエウローパ・ガランテの演奏は、ザクザクと鋭角に切り込んでいく弦に、野太いホルンの響きが加わって、序曲から満員の客席をオペラの世界に引き込んでくれます。時に繊細に、そしてまたダイナミックに、融通無碍の音楽が展開されていきます。チェロ、チェンバロそしてテオルボの通奏低音セクションはうまいねぇ。テオルボのおっさんもう20年以上ガランテで弾いている人だけど、この人がいないとこのグループはあり得ないってくらい音楽に精通した人だと思う。レチタティーヴォのさりげない一言を見事に支えてくれます。ビオンディのヴァイオリンも溌剌とかっ飛ばすかと思えば、しっとりと情緒的に歌い上げたり、あるはほんの小さな一音に重大な意味を含ませたりと八面六臂の大活躍。技巧的なアリアのカデンツァでは歌手に寄り添うように対旋律を弾いてみたりと、まさにオペラ好きなイタリア人の面目躍如。音楽の喜びに溢れていました。

演出の彌勒忠史という人、初めて舞台を見ましたが、才能に恵まれた人ですねぇ。中央に能舞台を連想させるような、黒漆の光沢を持った舞台。上下に橋掛かりをつけて、登場人物の出入りをスムーズにしています。下手側の橋掛かりの下には石庭を思わせる装飾。舞台正面には海を連想させる波の文様。日本的でもあり、ギリシャ風でもあり、普遍性もあるしつらえ。衣装も能の装束を思わせるもの、ギリシャ風のキトンのようなもの、肩が大きく膨らんだイメルダ・マルコス風のドレス等々、いずれも気品のある作り。衣装のセンスもなかなか。また人物の配置もうまい。主要な登場人物がみな帯に扇を差しているんですが、この使い方が実に優雅。それぞれの役柄に合わせて、模様のない金、銀、群青、白などの扇子を使います。多分日本に着いて2日間のリハーサルで覚えたんだと思いますが、能を連想させるようなとても優雅で、しかもスケールを大きく見せる所作を全員が披露してくれました。

キトン


ちなみに1週間ほど前の2月20日にロンドンのバービカンでやった上演は衣装なしの演奏会形式。その時のカーテンコールの様子

今回の上演で男性は主役の悪役を歌った一人だけ。マグヌス・スタヴランという人ですが、声もよかったけど芝居がうまかったねぇ。能装束を思わせるゆったりと作られた着物が大柄な体にマッチして、いかにも悪者って雰囲気を出していました。それ以外の登場人物は全員女性。しかも7人全員がメゾ・ソプラノ。その中で女王役のキーランドとお姫様役のマリーナ・デ・リソ以外の5人がズボン役。宝塚よりも男役が多いぞ! というのもヴィヴァルディの時代にはこれらの役は去勢された男性歌手、いわゆるカストラートが歌っていたと考えられるため。男のファルセットでは表現できない面白さと、通常芝居の中でしか存在し得ないような、えも言われぬ(宝塚的)倒錯性もバロック・オペラの魅力と言えるかもしれません。まあ、歌舞伎などもそういった側面がありますねぇ。そこらへんについてはビオンディのインタビューを参照してください。

歌手はいずれもすばらしい歌を披露してくれました。この時代のオペラって、言ってみれば「演歌ショー」のようなもので、一応ストーリーはあるんだけど、歌は別の作曲家のものまで無断で借りてきて、自分のオペラの中にはめ込んでしまうというやり方。いわゆるパスティッチョという形式。アリアはすべてA・B・A’のダ・カーポ形式。叙情的なものもあれば、超絶技巧のものもあり、ストーリーの展開に合わせて、運命を嘆いたり、恋心を歌ったりと都合のいい内容のものをはめ込んでいくわけです。それはそれで、歌謡ショーの楽しさがあるんですが、時折とんでもなく技巧的で、しかも歌手の裁量に任された自由な装飾がふんだんに施された歌が飛び出してきたりします。前回の『バヤゼット』の時にはヴィヴィカ・ジュノーがそんな役回りでしがが、今回は宮宰トラシメーデを歌ったユリア・レージネヴァという人がまさにそんな役。小柄ながら武士のような衣装を着けて、特大の太刀を帯びています。あの腕であの長さの刀は抜けないんじゃないかと思っていたら、2日目(3月1日)には抜いてみせましたねぇ。そんなことより、とにかくその歌のすさまじかったこと。第2幕第7場の「波にもまれる舟のように」、第3幕第5場の「もし戦場で」の二つのアリアは歌い終わった後ブラボーの嵐。特に2日目は絶好調で最初から最後まで潤った喉を堪能しました。まさに極上のウグイスの歌声のようでした。レージネヴァの歌う「波にもまれる舟のように」の演奏会形式の映像(部分)。

もう一つ音声だけですが、第3幕第4場のリチスコ(フランツィスカ・ゴットヴァルト)のアリア「恐ろしい夜の闇に」。 

最後はハッピーエンドなんですが、黒漆の舞台に金銀の紙吹雪が散ってきて、本当に美しい舞台を堪能させてくれました。予算が潤沢にあるわけじゃないでしょうけど、センスがあって頭を使えばこれだけ見事な舞台ができるということ。2日目はカーテンコールで客席が総立ちになりました。

Opera Rara 2011のビデオ。演奏会形式です。


ビオンディ指揮 エウローパ・ガランテ w.ヴィヴィカ・ジュノー2015/03/04 16:13

昨日(3月3日)はオペラシティでエウローパ・ガランテの演奏会を聞いてきました。まず、最近譜面が発見されて演奏されるようになった『テルモドンテのエルコレ(テルモドン川のヘラクレス)』序曲。ビオンディはレコードも出していますが、なかなか溌剌とした演奏。続いてヴィヴィカ・ジュノーが登場して、『悲しみの聖母(スターバト・マーテル)』。ニコニコ顔で登場して、でもイントロが鳴り出すととたんに真顔になる所はさすが。この詩は第三者が情景を描写するように書かれているんですが、ジュノーはマリアの心の中に入り込んだような歌いっぷり。鞭打ちの痛みを分かち合うかのような悲痛な歌声。そして、最後はマリアとキリストと観察者とが一体になったように悲しみを歌い上げていました。

次にオペラの超絶技巧のアリアを2曲。『忠実なニンフ』から「残酷な運命に打ちひしがれた魂は」と『グリセルダ』の「2つの風にかき乱され」。どちらもジュノーの十八番。これ聞きたくてやってきたお客さんも多かったんじゃないでしょうか。期待に違わぬものすごい歌声。特に『グリゼルダ』の「鰺叩(agitata da due venti)」はもう何と言ったらいいのか、ダ・カーポで返ってきてからの一節は、「いつもより5割多く回しております」って感じの超絶技巧。今はもう廃れてしまったメリスマの歌い回し、久々に堪能しました。アンコールに先日横浜で披露した『メッセニアの神託』から第3幕第7場のエピーティデのアリア「母が息子を拒絶して」。

後半はいつもの『四季』。つい数ヶ月前にオノフリの四季を聞いたばっかりですが、別に聞き比べを意識したわけじゃないけど、全く異なる演奏。オノフリは端正なんだけどツンツン尖っていますねぇ。リズムの切り込み、テンポの動かし方、強弱の対比、どれをとっても先鋭的。ビオンディは変幻自在。昔の演奏とはかなり違ってきて、「いかようにも料理してみせますよ」といった、余裕すら感じられる演奏。かつてのような疾走感とか、激しい切り込みは姿を消して、歌が全面に押し出された演奏。人間の呼吸に寄り添うかのような叙情すら感じました。アンコールに夏の第3楽章。今度はものすごい切れ味。でも聞き手の心を見透かすかのような、ピアニッシモも。それからもう一度冬の第二楽章。これはかなりロマンチックに料理。


ヴィヴィカ・ジュノーの歌声。『バヤゼット』の第1幕9場、イレーネのアリア「戦場の兵士の如く」。録音セッションの映像。

『グリセルダ』の「アジタタ」。シュヴェツィンゲン音楽祭の映像。ロココ劇場でのコンチェルト・ケルンとの共演。ヘンデルやハッセも歌っています。

おまけ。バルトリ姐ちゃんの「鰺タタ」。有名なヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコでのリサイタル。

クロッカス ハイデルベルク2015/03/05 16:01

昨日は午前中かなり振りました。今日は久々に朝からいい天気。風もなく穏やかな春の日。芽が動き出してきたのでバラを剪定しました。

いつの間にかクロッカスがたくさん開いていました。




紫と白の絞りも咲き始めました。



そして白も。





単色の紫も咲き始めていました。

ものすごく暖かくなったんで、一気に開いちゃったみたい。


マーガレットもどんどん開いています。



イエロー・シンプリシティ

春の空です。



春眠不覺曉

眠いんだってばさ

とりあえず、ペロペロ



トニー・ベネットが歌って世界的にヒットした『想い出のサンフランシスコ』とか『霧のサンフランシスコ』とかいう歌、「愛しきパリは心わびて、ローマの光今いずこ、マンハッタンでは一人ぼっち・・・」と始まって、「君が待っているサンフランシスコに帰るところ」ってな感じに続きます。色恋沙汰って言うよりも、「故郷に帰る歌」ってところでしょうか。個別具体的な話はなくて、サンフランシスコに対する抽象的・情緒的な思いを歌っています。

“I Left My Heart In San Francisco” の “San Francisco を Heidelberg に置き換えると、ドイツ語で Ich hab mein Herz in Heidelberg verloren” となります。
「二十歳の頃、赤い唇、黄金の髪の彼女と口づけをかわした、あの夏の夜、あのネッカー川の河畔で・・・我が心はハイデルベルクにあり・・・あのネッカー河畔のハイデルベルクに」。サンフランシスコの場合と正反対に、個別具体的な恋の体験を歌っているのがこの曲。日本では『ハイデルベルクで恋をした』とか言うみたいです。まずハイノの歌で。

ハイデルベルクで思い出されるのが『アルト・ハイデルベルク』。小説『カール・ハインリッヒ』に基づく戯曲です。日本でも滝沢修や松井須磨子とかいう人たちが大正時代に上演していましたし、昭和の初め頃からは宝塚の少女歌劇でも上演されています。大竹しのぶと2〜3年前に亡くなった勘九郎のコンビも上演しています。大公の世継ぎであるハインリッヒ王子がこの地に遊学して、下宿屋のケーティと恋仲になる。大公が病気になり王子はわずか4ヶ月で帰国。数年後大公となったハインリッヒのもとにハイデルベルクの宿屋の給仕が訪ねてきて人々の消息を語り、懐かしくなったハインリッヒはハイデルベルクを再訪する。甘酸っぱく、ほろ苦い青春の想い出といった話です。アンドレ・リューとバンド・カナリーのミルシア・ラウワースで・・・

『アルト・ハイデルベルク』と鷗外の『舞姫』の類似性はよく指摘されるところ。舞台をハイデルベルクからベルリンに、大公を日本のエリート官僚、下宿屋の娘ケーティを踊り子エリスに入れ替えれば、そのまんま似たような物語になってしまうんですが、舞姫のほうはドロドロとした情念と打算が渦巻く物語。子供を孕んだ踊り子との同棲生活を金を積んで精算しようというどうしようもなく暗い話。『アルト・ハイデルベルク』の甘酸っぱい郷愁とはかなり趣が異なる小説です。事実エリスのモデルと言われるエリーゼ・ヴィーゲルトっていうのが日本にまで押しかけてきたわけですから、鷗外も心中穏やかならざるところがあったわけで、後日談もかなりすごいことになっています。ちなみにエリーゼ・ヴィーゲルトは1953年まで生きていたそうで、鷗外よりはかなり長命でした。もう一つウィーンの歌姫エファ・リントの歌で。

むしでん 最終回2015/03/06 14:52

今日は曇りがちながら、ちょっと日が出てきたらポカポカ陽気に。10℃越えです。


芝生の緑が少しずつ濃くなっています。



春の花壇



日当たりが一番いい北側の花壇では、黄色のクロッカスが満開を過ぎました。





紫の絞りが満開に近づいています。


単色の紫も一気に開いてきました。

白もわずかにストライプが入っていたりします。種で性質が混ざるのかなぁ。
球根も太るけど、ほったらかしておくと種でも増えていくみたい。

近所のネコさん



これはワンコさん

きれいどころ

生け垣の中が気になるみたいです。




ムシデン(別れ)の最終回といえばやっぱりこの人。ウィーンの名バリトン、エーリヒ・クンツ。シュターツオーパーに残っている戦後の記録だけで、フィガロを249回、パパゲーノは338回、レポレッロは211回歌っているそうです。ちょっと考えられない出演回数ですねぇ。レコードには民謡とか学生歌をたくさん残しています。

サロネン指揮 フィルハーモニア w.ヒラリー・ハーン(Vn)2015/03/08 14:33

昨日(3月7日)は池袋の芸術劇場でフィルハーモニア・オーケストラを聴いてきました。指揮はエサ=ペッカ・サロネン。確かフィンランド人なのかな? とすればお国もの? まずはシベリウスの『トゥオネラの白鳥』。イングリッシュホルンがきれいでした。「新世界」の第2楽章を思い出したね。つまり作曲コンクールに出したら確実に落選だけど、ムード音楽としてすばらしい。次にヒラリー・ハーンのヴァイオリンで、ブラームスのコンチェルト。昨年の暮れに表現意欲の塊のようなドイツ・カンマーフィルのブラームス連続演奏会を聞いたばかりだし、変幻自在なビオンディをこの1週間で3回聞いてきたし、こちらの耳の閾値が高くなっているのは確かなんだけど、それにしてもこの日のブラームスはひどすぎ。まずヴァイオリンに音楽を表現しようとする意欲がまるでない。オケも凡庸なソロの引き立て役に徹して、ブラームスのロマン、感情、情念、喜怒哀楽、まあ何と呼んでもいいけど、そういったものをチラリとでも見せたら負けって感じで、まるで無表情な音を出していましたねぇ。こちらはひたすら耐えるだけの40分。終わって休憩になるかと思いきや、何を勘違いしたのかヴァイオリンがアンコールをやり始めてしまったのですよ。それもバッハ。今時信じられないほど稚拙なバッハ。彼女が旋律だと思っているものに、ただ和音を乗せているだけの、対位法の原理すらわかってない弾き方でウンザリ。

後半はベートーヴェンのエロイカ。トランペットとティンパニは時代楽器を使っていました。四半世紀も前にアルノンクールがヨーロッパ室内オケとベートーヴェン・チクルスをやったときの方式のパクリですね。一応古楽にも目配りしていますよっていう、指揮者のアピールです。冒頭のティンパニの強打2発。まあ、これは凄くよかった。そのあとせかせかした主題の提示があって、とんでもなく見通しの悪い音楽に陥っていきましたねぇ。指揮者が腕を突き出してしきりに煽るんだけど、二本のトランペットはまるで迫力なし。吹き慣れてないんだろうね。時代楽器を使う意味がまるでなし。葬送行進曲ではベースの「ズルルル〜ン」ていう複前打音がまったく揃わず、濁って汚らしい。日本のオケのほうがずっとクリアで迫力ある音を出すぞ。トリオのオーボエとホルン、下手くそだったねぇ。このホール、読響や都響をよく聞くホールなんだけど、日本のオケの方が表現力も迫力も繊細さもダイナミクスも遙かに上(もちろん指揮者にもよるけど)。もうこんなオケは二度と聞きたくないな。と思ったら、アンコールに「悲しいワルツ」を演奏。これはよかった。白鳥とワルツ、マントヴァーニ・オーケストラだと思えばいいのかな。それにしちゃチケット代が高すぎるぞ。

シベリウスのワルツ、何かいい演奏はないかなと思って検索したら、何とこんなのがトップで引っかかった。


今日は時折冷たい雨が降ってくる嫌な天気。撮りためた写真を放出します。
クロッカスは各色満開になっています。






ナデシコ。秋の七草ですが、やっぱり春に向けて株が大きくなっています。

冬の間もぽつぽつ咲き続けるんですが、寒い間はあまりいい花じゃないですねぇ。

ノースポールの花が増えてきました。


オールド・ブラッシュ(夏の名残のバラ)

スミレ



旧正月は終わったはずなのに、まだ何となく街中に中国人観光客が多いような気がする。

町で見かけたきれいどころ。




昼間は喫茶店、夜はスナックって感じの店の前。

このシャムっぽいのが上のシマシマの母親なんだそうです。