フレンチ・コミック・カンタータ2011/03/04 14:03

昨日(3月3日)は津田ホールでドミニク・ヴィス&カフェ・ツィマーマンの演奏会を聞いてきました。カウンターテナーのヴィスはお馴染みですが、カフェ・ツィマーマンというアンサンブルは初来日でしょうか。“ひとりオペラ”と副題がつけられ、芸達者なヴィスの歌い回しがきらっと光るおフランスのユーモラスなカンタータを3曲と、幕間に器楽曲を配した構成でした。

幕開きに演奏されたミシェル・コレット(1707-1795)のコンチェルト・コミーク第24番「ユロンの行進」は、ロココ真っ盛り。あるいはちょいと古典派にも足を踏み入れたような音楽。その当時の聴衆にしてみれば流行歌の曲名当てクイズのような曲だったんだとか。フランス的な優雅さと古典の様式美とが、ちょっとグロテスクに融合したような音楽と言えるかもしれません。まあ、楽しきゃいいんですよ、この手の曲は。リーダーのパヴロ・ヴァレッティの隣で、ダヴィド・プランティエがさりげなくセカンド・ヴァイオリンを弾いています。チェンバロはセリーヌ・フリッシュ。

フィリップ・クルボワ(1705-1730)の「ドン・キホーテ」はかのセルバンテス物語を元にしたカンタータ。500円もするプログラムでは作曲家の生年が1705年となっていますが、その解説によるとこの曲は1710年に刊行されたんだとか。モーツァルトもびっくりするような早熟の天才! 原作ではロバに乗って登場するドン・キホーテですが、今回は小さな小さな(日本だと子供の三輪車のような大きさの)自転車に乗って颯爽と登場。鎧甲、剣に楯。まるでどこかの国立劇場で見たしょぼいワルキューレだ。ハンドルにはもちろんロシナンテの頭がついています。結構こぐのが大変そう。ドゥルシネア姫に恋い焦がれて、巨人(風車)と戦うラ・マンチャの騎士。最後には狂言回しのサンチョ・パンサが登場して、「旦那様もお姫様も馬鹿馬鹿しい限り、おいらは酒でも飲んでよう」なんてアリアを歌って大団円。ヴィスはステージ中を飛び回り、自転車で走り回って歌い演じます。

前半の最後はマレの「サント・ジュヌヴィエーヴ・デュ・モンの鐘の音」。何というかこういう曲が演奏会で取り上げられるってことが、最近は滅多にないことです。古楽が日本にも伝わって来た頃には、しょっちゅう演奏されていた曲なんですが。うん、こういうカンタータの合間に演奏されると、なんか新鮮な感じさえ覚えます。この曲ではリーダーのヴァレッティはもちろん、フリーデリケ・ハイマンという女流のガンビストもなかなか小気味よい音楽をやっていました。後半の最初に演奏されたラモーのコンセール第5番も同じような感想です。いやあ、懐かしいですねぇ。フリッシュのチェンバロも優雅でしかも颯爽としていました。

ニコラ・ド・グランヴァル(1676-1753)のカンタータ「エフェソスの貴婦人」は、夫を亡くして後を追おうとする未亡人が、墓場で絞首刑の見張りをしている兵士と恋に落ちて…といった、ややグロテスクなドタバタ。未亡人、メイド、死んだ夫、兵士、そして何と語り手までヴィスが一人でこなします。この人、オペラでも女性の役をやることが多いせいか、さりげない仕草をよく観察しています。で、その研究成果をちょっと大げさに表現して笑いを誘っていました。それにしても、カウンターテナーの音域とバリトンの音域を行ったり来たりして、早変わりでこれだけの人物を演じわけるのは至難の業でしょう。

フルートが活躍するミシェル・コレットのコンチェルト・コミーク第5番「女は大いに面倒の種だ」に続いて、最後はピレール・ド・ラ・ガルド(1717-1792頃)のカンタータ「ラ・ソナート」。チマローザの宮廷楽士長なんかと同じ系統でしょうか。歌の入らない純粋な器楽のソナタを演奏しようとするマエストロ。ところがやっぱりおフランス。「オルフェウスやプシュケーの嘆きのように…幸せな羊飼いたちが…パストラル…私の高貴なサラバンド…出でよ、荒れ狂う嵐ども…」。およそソナタじゃありませんねぇ。ヴィスは体全体で音楽を表現するかのように大奮闘。指揮棒を投げ飛ばしたり、折ってしまったり…そのたびに指揮台の仕掛けから新しい指揮棒を取り出すんですが、それがだんだん太く長くなっていく。最後は麺棒のような巨大指揮棒を振り回します。

このグループは、少なくとも日本では切れ味さわやかなバッハの演奏で知られるようになったと思うんですが、フランスものはさすがに優雅にやりますねぇ。セリーヌ・フリッシュが弾くギタルラの貸し楽器も、こんなに豊かな響きがしたのは初めてです。ちょっと頭を客席に向けるように配置したせいでしょうか。

(追記:リュートとギターを弾いていたエリック・ベロックはアンサンブル・クレマン・ジャヌカンでも弾いていた人ですね。)