都響 モーツァルト:『レクイエム』(レヴィン版)2013/03/14 13:50

昨日(3月13日)は池袋の芸術劇場で都響の演奏会を聞いてきました。高関健の指揮で、メインのプログラムはモーツァルトの『レクイエム』(レヴィン版)というやつ。かっこレヴィン版というのがミソなんだろうと思います。森麻季、菅有実子、中鉢聡、福島明也のソリスト、合唱は東響コーラス。

通常の演奏ではモーツァルト生前の弟子で、彼の死後その指示に基づいてこの曲を補筆完成させたジュスマイヤーの版が使われることが多いと思いますが、これには色々問題点があるらしい。というわけで、ランドン版、モーンダー版、バイヤー版といったさまざまな補筆版が出てきているんですが、その中でも多分一番新しいのがこのレヴィン版。モーツァルトの没後200年の年にヘルムート・リリングが演奏したんだそうで、出来て20年ちょっとになるわけです。

肝心のスコアを見たことがないし、1回聞いただけで解説するのも何ですが、一応聞いてきた印象を書いてみます。冒頭のレクイエム、キリエ・・・あたりはジュスマイヤー版とほとんど変わりありません。そりゃそうだ、ここはモーツァルトが生前に書き込んでいた部分。問題はモーツァルトの絶筆となったラクリモーサの8小節以降。さほど違いはないかなぁと考えながら聞いていたら、最後に大きな違いが。ジュスマイヤー版で「あー・めん」と簡潔に終わっていた部分が重厚長大な「あーめん」フーガになっています。ラクリモーサと同じ多分8分の12拍子の長大なフーガ。ラクリモーサ本体よりもかなり長い感じがします。

このアーメン・コーラスはモーツァルト自身のスケッチが1962年にベルリンで発見されたという経緯があって、あながち架空の創作ではないみたいですが、ジュスマイヤーはこのフーガの存在を知らなかったのかなぁという疑問も湧いてきます。

サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイはモーツァルトのスケッチが全く残っていない部分で、ジュスマイヤーの創作だと言われています。レヴィン版ではベネディクトゥスあたりからかなり変わった響きがします。荘重というのか壮麗というのか、おどろおどろしい音楽。ホザンナにもなにやらフーガっぽい重々しい合唱が加えられているような気がしました。

さて肝心の演奏ですが、巨大オーケストラと、ざっと見渡して100人はいるんじゃなかっていうアマチュア合唱団。最初からあまりいい気分はしなかったんですけど、やっぱりモーツァルトの演奏様式じゃないよね。指揮者もまるでイタオペでも振っているかのような思い入れたっぷりな、大袈裟なスタイル。なんか気持ち悪い音楽でした。独唱では森のイントネーションが不安定で、声も通らず。中鉢はマントヴァ公を気取ったような発声。福島はさしずめスカルピアかな。合唱団はせっかく聞かせどころのフーガを作ってもらったのに、メリスマが下手すぎ。ごちゃごちゃの響きで聞くに堪えない代物でした。

なお演奏会の前半には、小山実稚恵のソロで、シューマンのピアノ協奏曲が演奏されました。