真夏日2016/05/23 20:11

最寄りの観測地点で最高気温32.6℃。湿度が30%前後で推移してるみたいなので、もちろん日向で作業をすれば汗が噴き出しますが、家の中にいればエアコンは必要ない程度です。


午前中は薄雲が出ていたんで、さほど暑い感じはしませんでした。




前回芝を刈ったのは19日の木曜。この時にエッジも処理したんで、見た目はまあまあでしょうか。

肥料はかなり控えめにしているんですが、4日経つと芝はボサボサになってきます。




中3日で芝刈り。

中3日でも刈るとしっかりストライプが出ます。



ちょっと大変ですが今の時期は仕方がないですね。

15分後


面倒ですがこの季節は週に2回の芝刈りが必要になります。



芝刈りをすると気持ちいいですね。


トリテレイアという球根、ナデシコ、断末魔のヴィオラ、ノースポールなど。





エノケンの東京節を探したんですが、なかなか見つからない。エノケンの雰囲気に近いのはこれかなっていうやつを聞いてみましょう。大工哲弘ってのは沖縄の八重山の民謡歌手です。ちょっと訛っていますけど、エノケンの雰囲気を伝えているかなと思います。

1番
東京の中枢は丸の内・・・ 中枢って言葉の使い方から時代を感じられます。

日比谷公園、両議院・・・  今では日比谷公園て丸の内のイメージではないんですが、当時は東京駅の西側一帯、いわゆる三菱が原を丸の内って言っていたのかもしれません。国会は最初から現在の永田町の高台に建設予定だったんですが、先立つものが乏しくて、最初は内幸町というか霞ヶ関というのか、現在の経産省のところ、つまり日比谷公園のはす向かいに仮の議事堂を建てたんだそうです。この建物は竣工から2ヵ月後に火事で全焼。その後も昭和10何年だかに今の議事堂ができるまで、鹿鳴館跡地(現在の帝国ホテル)に仮住まいしたり、あちこち転々としながら仮設の建物で頑張っていたんだそうだ。

粋な構えの帝劇に・・・ 日比谷堀に面した、今と同じ場所にあったそうです。最初の建物はネオ・ルネサンス様式。ひょっとしたら、画面の最初から映っている列柱が当時の帝劇なのかもしれません。

イカめし館は警視庁・・・ んめそうな館だ。警視庁というと桜田門のイメージですが、この当時は帝劇の隣にあって、関東大震災では警視庁から出火して、帝劇が全焼したんだそうです。

諸官省ずらりと馬場先門・・・ 当時は霞ヶ関じゃなくて馬場先門の三菱が原が官庁街だったみたいです。

海上ビルディングに東京駅・・・ もちろん東京海上の本店。「ビルディング」というカタカナを初めて建物の名称につけたんだそうだ。東京駅の場所は江戸の初期まで海の中。埋め立て地に建築するため、明治初期に1万本の松の杭が打ち込まれたんだそうで、一般的なコンクリートの杭よりも強度があって、耐久性もずっと長いんだそうだ。ヴェネツィアみたいですねぇ。

(ナンセンスなルフラン)
ラーメチャンたらギッチョンチョンでパイノパイノパイ
パーリコとパナナでフライフライフライ

2番
東京の名物は満員電車・・・ 銀座尾張町(現在の銀座4丁目)の映像が流れます。ここは1970年前後まで、あらゆる方角に路面電車が行き交っていました。服部時計から三越と晴海通りを三愛側から見て右方向にパンしていって、1分28秒あたりの画面右端に2階か3階建ての建物が映っています。ここは戦後はライオンのビヤホール(7丁目の本店とは別)がずっと平屋で営業していて銀座の7不思議の一つといわれていた角地。戦前はビルだったんですね。

1分30秒あたりから正面に映っているのが多分有楽町の朝日新聞本社。37秒付近で一瞬鳥の群れが映りますが、これは新聞社が飼っていた伝書鳩の群れだと思います。ルフランで映っているのは多分有楽町の日劇。

3番
物価はますます高くなる、物は高こうても子はできる、できたその子が栄養不良・・・ いかにも演歌師の面目躍如といった歌詞です。現在は物価は安くても子どもを作らない時代。いや作れない時代。経済政策も金融政策も完全に破綻していますし、育てていくための社会政策もまるでなおざりですから、恐らく今時子どもを作るのにはものすごい勇気がいるんでしょうね。

大正の中期はインフレの時代。資本の集中やら独占資本、財閥といった産業構造が確立された時期です。資本家、成金は大儲けする一方で、労働者の実質賃金は平均で47%下落しています。現在の経済情勢とそっくりなことに驚かされます。人口は都市に集中し、東京にスラム街が形成されたのもこの大正時代。

いやにしなびて、青白く、あごがツンと出て、目が窪み、だんだんか細くやせてくる・・・ かなりリアルです。

(ルフランもちょっといじっています)
日本米は高いからパイノパイノパイ
外国米やうどん粉でフライフライフライ

4番
有名な浅草を歌った部分。

東京で繁華な浅草は・・・ 繁華という言葉、現在ではほぼ「繁華街」という熟語でしかお目にかからないと思いますが、実は「繁華ナリ」「繁華だ」という形容動詞だったんだと思い出す一瞬。

3分10秒あたりから「金龍館」というのぼりが映し出されますが、これこそ伝説の劇場。浅草オペラのメッカ。最初はローシーというイタリア人の興行師が帝劇でオペラの興業を打ったんだそうですが、その後庶民派の音楽となって、赤坂と浅草がオペラの中心地に。当時の小屋は日本館、観音劇場、ローヤル館等々。様々な合従連衡を経て、この金龍館がオペラの殿堂になったんだそうだ。特に1922年(大正11年)3月20日のカルメン初演は凄かったんでそうです。何しろあの榎本健一(エノケン)がコーラスで浅草にデビュー。宮沢賢治、小林秀雄、川端康成なんてな連中が連日通い詰めちゃったんだそうですよ。まあ、ここから宝塚の少女歌劇も分かれていったわけだし、藤原義江やら田谷力三なんて魑魅魍魎も跳梁跋扈していたっつう世界だったんだそうですね。

そして3分36秒あたりからのカットが、できたばかりの神宮外苑のイチョウ並木。正面が絵画館です。それにしてもイチョウがちっちゃいねぇ。