『想い出のサンフランシスコ』、『ハイデルベルクで恋をした』 ― 2014/01/02 18:16
今日は風が強くてちょっと寒かった。天気は快晴だったんですが・・・
シマ猫のトムピリさん
クロかあちゃんもやってきました。
親子水入らず
ペロペロ
舐め合っているうちに、なぜかこんな風になっちゃいます。
クロかあちゃんは寝業師。
いつの間にか巴投げの体勢に持ち込んでしまいます。
仕切り直し。「互いに見合って、待ったなし!」
トムピリさんは体当たり(ボディーアタック)しか技がありません。
だから、いつの間にかこんな風に・・・
「隙ありー!」
でも、いつも軽くいなされてしまうのです。
トムピリさん「ぺろぺろ」。
ふう
ぺろぺろ、ペロペロ。
ぺろぺろ、ペロペロ、ぺろぺろ、ペロペロ
ん? 何か?
戦い済んで、日が暮れて・・・
トニー・ベネットが歌って世界的にヒットした『想い出のサンフランシスコ』とか『霧のサンフランシスコ』とかいう歌、「愛しきパリは心わびて、ローマの光今いずこ、マンハッタンでは一人ぼっち・・・」と始まって、「君が待っているサンフランシスコに帰るところ」ってな感じに続きます。色恋沙汰って言うよりも、「故郷に帰る歌」ってところでしょうか。個別具体的な話はなくて、サンフランシスコに対する抽象的・情緒的な思いを歌っています。
“I Left My Heart In San Francisco” の “San Francisco” を “Heidelberg” に置き換えると、ドイツ語で “Ich hab mein Herz in Heidelberg verloren” となります。
「二十歳の頃、赤い唇、黄金の髪の彼女と口づけをかわした、あの夏の夜、あのネッカー川の河畔で・・・我が心はハイデルベルクにあり・・・あのネッカー河畔のハイデルベルクに」。サンフランシスコの場合と正反対に、個別具体的な恋の体験を歌っているのがこの曲。日本では『ハイデルベルクで恋をした』とか言うみたいです。まずハイノの歌で。
ハイデルベルクで思い出されるのが『アルト・ハイデルベルク』。小説『カール・ハインリッヒ』に基づく戯曲です。日本でも滝沢修や松井須磨子とかいう人たちが大正時代に上演していましたし、昭和の初め頃からは宝塚の少女歌劇でも上演されています。大竹しのぶと2〜3年前に亡くなった勘九郎のコンビも上演しています。大公の世継ぎであるハインリッヒ王子がこの地に遊学して、下宿屋のケーティと恋仲になる。大公が病気になり王子はわずか4ヶ月で帰国。数年後大公となったハインリッヒのもとにハイデルベルクの宿屋の給仕が訪ねてきて人々の消息を語り、懐かしくなったハインリッヒはハイデルベルクを再訪する。甘酸っぱく、ほろ苦い青春の想い出といった話です。アンドレ・リューとバンド・カナリーのミルシア・ラウワース。なんとHD映像です。
『アルト・ハイデルベルク』と鷗外の『舞姫』の類似性はよく指摘されるところ。舞台をハイデルベルクからベルリンに、大公を日本のエリート官僚、下宿屋の娘ケーティを踊り子エリスに入れ替えれば、そのまんま似たような物語になってしまうんですが、舞姫のほうはドロドロとした情念と打算が渦巻く物語。子供を孕んだ踊り子との同棲生活を金を積んで精算しようという、どうしようもなく暗い話。『アルト・ハイデルベルク』の甘酸っぱい郷愁とはかなり趣が異なる小説です。事実エリスのモデルと言われるエリーゼ・ヴィーゲルトっていうのが日本にまで押しかけてきたわけですから、鷗外も心中穏やかならざるところがあったわけで、後日談もかなりすごいことになっています。ちなみにエリーゼ・ヴィーゲルトは1953年まで生きていたそうで、鷗外よりはかなり長命でした。もう一つウィーンの歌姫エファ・リントの歌。
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