ムデハル ― 2012/06/01 14:13
このところアサヒのサーバが余りに重くて、なかなか記事を書けない。写真もアップロードできない。というわけで、この写真はいつごろのかなぁ? 夕立があった頃のやつです。
花びらが散っていますが、いつもの年ほどじゃないですね。
バラの花柄を摘んでから芝を刈って、すっきりとしたところ。
ほとんど狂気のような一番花のシーズンはおしまい。これからは芝生が心配になる季節。いつまでこの緑を保つことができるのか?
でも、最近の薬はずいぶん進歩して、かなりの確率で夏のブラウンパッチは防げるようになってきました。防げるっていうのは大袈裟かな。薬の選択を間違えなければ、甚大な被害にならない程度に押さえ込むことが可能になりました。
バラもまだ多少は残っています。
チャイナ・ドールは咲き始めたばかり。
夏の花も咲き始めました。
夏の花ですが、「ハツユキカズラ」。5年目ぐらいかな(?)今年初めて咲きました。
こっちはお馴染みの
テイカカズラ。
バーベナとマリーゴールド。
季節じゃないですが、スミレ。どこからうちの屋上にやって来たんでしょう。
このところサーバが重すぎて記事が書けないもんで、何を書こうとしていたのか忘れちまったじゃないか。思い出してまとめるのも面倒なんで、要点をかいつまんで書き留めておくことに。2年あまりにわたる攻城戦の末、イベリア半島では1492年にグラナダ(アルハンブラ宮殿)が陥落し、レコンキスタが終了。カスティージャの女王はイサベル1世。旦那はアラゴン王フェルディナンド2世。つまりこの二人は、イングランド最初の女王となったメアリー1世の母キャサリンの両親。
で、この1492年は2ヶ月あまりの航海の末、コロンブス様御一行が新大陸を「発見」した、あるいは新大陸に「辿り着いた」年でもあります。このコロンブス様御一行を援助したのもイサベル1世。
問題
のレコンキスタですが、グラナダが陥落してイベリア半島から回教徒がすべて追い出されたかというと、そうでもなかったらしく、アラビア語の「ムダッジャン」という言葉に由来する「ムデハル」という残留者がいたんだそうだ。ムデハルという言葉は現在では建築用語として、イスラム教とキリスト教の建築様式の融合したスタイルを指して使われます。
世界遺産:アラゴンのサンタ・マリア大聖堂の塔、屋根、ドーム
そのムデハルを名乗るグループの演奏。ベゴーニャ・オラビデを中心として、カルロス・パニアグア、ペドロ・エステバンなんかが参加しています。カンティガなどに比べるとかなりモダンな響きがしますが、イスラム臭も芬々といたして
おります。
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