2/17ビオンディ バッハ無伴奏@神奈川県立音楽堂2024/02/18 15:10

昨日(2月17日)はビオンディのバッハ無伴奏ソナタ&パルティータ全曲演奏を聞くために、横浜まで出かけました。ビオンディに関しては伴奏付きのソナタ(BWV1014-1019,BWV1020-1025)のどれかを聞いたことがあります。それから確かCDも出ていたと思いますが、あまり共感できる音楽ではなかったので、横浜までわざわざ出かけるのには若干のためらいがありました。で、結論から言うと、やっぱり行かなきゃよかった。ビオンディっていうヴァイオリン弾き、主に活躍の舞台をヴィヴァルディやヘンデルのイタオペなどに、かなり限定している感があります。コレッリもめったに弾かない。なぜかって言うと、やっぱり舞台芸術の人で、純粋音楽の分野ではイマイチなのかな。オペラティックな歌いまわし、ある意味、見えの切り方やら、大げさな立ち居振る舞いやら、そういったものの見せ方、聞かせ方には素晴らしいものを持っているんですが、音楽を分析的に捉えることには慣れていない。というか、そもそもそういったアプローチをする人じゃないんですねぇ。

無伴奏ソナタ第1番のアダージョ。バッハの対位法はどこに行った? フーガじゃなくてもバッハの作品は、いくつもの声部が絡み合う対位法ですべて出来上がっていると言っても過言ではない。その対位法の美しさ、緻密な語り口を無視して、ビオンディの思うメロディーラインだけを取り出して、あとの重音は伴奏といった弾き方をする。これはバッハじゃないよ。第2楽章のフーガ。確かに主題の入だけは明確に示しているが、一通りの入が終わると、ほぼ和音の連続。対位法的な楽しみがまるでない。これほど換骨奪胎したバッハはかえって新しいのかも。でも聞くのが辛い。第3楽章シチリアーナ。ある意味「ご当地もの」と言ってもいいはず。語り口があまりにも紋切り型。

無伴奏パルティータ第1番。アルマンドの声部間の重層的有機的な繋がりが見えない。クーラントでは舞踏の愉悦感が皆無。近視眼的な音への没入も大事だが、大きく見通してリズムの形を見据えることも必要だろう。続くサラバンドにも、同じことが言える。舞踏のステップ、ワクワクして思わず体が動いてしまう愉悦感が皆無だ。ブーレは肉体的な躍動感が頂点に達したダンスだけど、これもなんとも重厚長大な事になってしまう。語りの要素がなくて、音の響かせ方が全面に出てくる、かなり奇妙なバッハだ。まあそんな感じでソナタの2番までやって、演奏会の前半が終了。午後2時開始で、3時10分には終了。後半は6時始まりだ。

ぶらぶら野毛まで歩いていって、昼間からやっている居酒屋で沈没。安い。ハッピーアワーとかで、サワーもハイボールも98円。6時にもう一度音楽堂まで戻るのも面倒だなぁ。そんなわけで後半は聞かずに横浜から戻ってきました。

他のヴァイオリン弾きと比較するのは本意ではないけど、例えばビオンディよりちょっと年上のヒロ・クロサキはバッハの無伴奏は弾いていないと思うけど、伴奏付きのソナタでは素晴らしい演奏をしていますし、『音楽の捧げ物』でも、複雑怪奇な対位法を解きほぐして聞き手にわかりやすく伝えるテクニックを持っていました。ビオンディよりちょっと下のエンリコ・オノフリはもっぱらコレッリの専門家かもしれませんが、初期バロックの超絶技巧もしっかりこなす。そこら辺のテクニックなしに、オペラ風の見えを切る技法だけでバッハに挑もうとしてもちょっと無理がある。そういったところも含めて、この日のビオンディには技巧的な衰えではないと思うが、明らかな欠点が感じられました。今世界で一番バッハに造形が深いヴァイオリニスト、佐藤俊介の無伴奏をお口直しにどうぞ。

無伴奏ソナタ第1番

無伴奏パルティータ第1番



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今日は朝からいい天気。気温も18.7℃まで上がっています。

マーガレット




最後のパパメイアン。花弁が開きかけています。




クロッカスが咲き始めました。




ヴェロニカ


このところの暖かさのおかげで、若干緑っぽくなってきたかも。