當麻寺(たいまでら) ― 2025/12/07 10:50
當麻寺はかなり不便なところ。ひょっとしたら大阪のほうが近いのかな。ここらへんまるで土地勘がないので、ジョルダンにおんぶに抱っこでございます。橿原神宮前で乗り換えて、順調に行けば15分程度なんですが、各駅しか止まらない駅で、区間急行とやらがやってくると、途中で乗り換えたり、あるいは帰りは1時間に2本しか止まる電車がなかったりと、かなり面倒なところです。
當麻寺の駅から門前町を歩いていくと、相撲開祖「當麻蹶速(たいまのけはや)」の塚なるものに出会いました。古事記とか日本書紀によると、垂仁天皇の時代(実在したとすると3〜4世紀頃、まあもちろん天皇って言葉はなかったんですが)、出雲の野見宿禰(のみのすくね)とこの地の当麻蹶速(蹴速とも)がスモーを取ったんだそうだ。蹴速っていう字からも分かる通り、当時のスモーは足で蹴りあったらしい。宿禰が蹴速の脇骨を蹴り折り、更に倒れた蹴速を踏みつけ、腰骨を踏み折り、蹴速にトドメをさしたという。う〜む、相撲のオリジンは神事なんだそうだが、ちょっと痛そうだ。
ここらへん、壬申の乱の故地なんですが、大津の大友皇子の手下が、難波の側から藤原京に攻め込む際に、正面に見える二上山(にじょうさん、ふたかみやま)越えの道から侵入したらしい。なんだか3つぐらいルートがあったそうだ。
當麻寺は聖徳太子の弟の麻呂古王(まろこおう)が弥勒菩薩を本尊として創建したんだそうだ。要するに古い。で、参道も土産物屋はないけど、かなり立派な家が立ち並んでいる。
この豊かさは聖徳太子の時代から代々受け継がれたものなのだろうか。そんなことはねぇな。
10分ほどで山門に着きました。東向きの東大門です。
門をくぐって正面の鐘がまずは国宝。この寺は国宝を8つ、重要文化財を31所蔵しています。法隆寺、興福寺ほどではないものの、かなり由緒正しい寺院。
中之坊は中将姫剃髪の地と伝わっています。とんでもなく信心深い人だったみたい。
庭園から望む東塔(奈良時代末期らしい)。この庭は国の名勝史跡になっています。
光悦寺垣。
なんかプードルを彷彿とさせる松の仕立て。
西塔(平安時代初期らしい)
金堂。弥勒菩薩、四天王なんかが入っています。
講堂。阿弥陀如来が2体。でっかい地蔵菩薩なんかがあります。
本堂。中将姫の曼荼羅の何代目かの複製が本尊として飾られていますが、その周りの厨子とか、須弥壇がすばらしい。「触らないでください」と書いてありますが、いやあ見事な須弥壇です。平家の南都焼討の火の粉を浴びた寺ですが、確か頼朝が再建して寄進したんだったかな。
西塔
ここらへんは奥の院かな。高野山の真言宗と、法然の浄土宗は結構相性がいいみたいで、このお寺も古いところは真言宗、比較的年代が下った部分は浄土宗という棲み分けになっています。どちらも、瞑想と念仏という実践的な行為が主眼の宗派ですね。
東塔と西塔が見渡せる場所。奥の院の一画。
西塔
奈良のホテルにもどったら、満月(スーパームーン)でした。
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