3/26 トリスタンとイゾルデ@新国立劇場2024/03/27 16:48

昨日は二国でワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を見てきました。スタッフ&キャスト、あらすじ、ダイジェスト映像などはここ。 舞台写真はこのページ

いやあ、すごい公演でした。トリスタンもイゾルデも当初発表されていた配役とは別の代役になってしまったんですが、トリスタンのゾルターン・ニャリとイゾルデのリエネ・キンチャこの主役二人が見事にはまって、素晴らしい舞台を見せてくれました。前奏曲の開始から尋常ならざる緊張感が漂い、2小節目にあの不思議な「トリスタン和音」が鳴り響く。このショルティの演奏では18秒のあたり。この和声が完全には解決されることなく、次々と展開してゆく。トリスタンとイゾルデの愛そのもののように、一瞬満たされたように見えて、次の憧れが生じ、4時間に及ぶ音楽を紡ぎ出していく不思議な響きだ。指揮の大野和士と都響はこの永遠に続くかのような憧れの連鎖、うねる響きの連続を、緊張感を欠くことなく表現していました。

舞台は抽象的だが、決して安易な読み替えはせずに正攻法な作り。イゾルデのキンチャは冒頭からスピントの効いたお姫様の様子。対するトリスタンのニャリはややリリカルな歌いまわしで、演技力が全面に出てくるタイプ。そこに侍女ブランゲーネの藤村実穂子が落ち着きを与える古株(失礼)の安定感。藤村の真骨頂を初めて体感したような気がしました。第一幕は媚薬が肝なんだけど、トリスタンもイゾルデも表面的には互いに罵り合っているようでいて、心のなかではかなり惹かれ合っているというのが如実にわかる演出。だから、トーマス・マンじゃないけど、飲むのは媚薬じゃなくて水でも構わないとなる。毒薬だとの触れ込みで、ふたりとも臨死体験を経て、互いに分かちがたく結びつくことになるのだ。ここで前奏曲と全く同じようにトリスタン和音が響き渡り、初めて互いの愛を確かめ合う。ここで聞き手はワーグナーの策にまんまとはまってしまうのだ。音楽的には前奏曲の冒頭から愛のテーマが流れているんだから。

第二幕は緊張感に満ちた音楽。狩りに出かけたマルケ王の一行に、二人の愛し合う場面が晒されるとわかっているからこその緊張感かもしれない。延々と続く二人の愛の二重唱が、いつしか形をなしてきて、昼と夜、あるいは光と闇の二律背反に収斂していく。愛し合う二人は永遠に夜の世界に留まろうと歌う。裏切り者のメロートは昼の世界の代弁者なのかも。マルケ王の独白も聴き応え十分。バリトンにしてはややリリカルな声質で混乱する心の内を吐露する。メロートの抜身の剣に身をさらして、死を求めるトリスタン。ここで二人の愛の方向が定まった。愛の行き着く先は、すなわち死。

第三幕、トリスタンの故郷カレオール。牧童が奏でる葦笛の音色が絶海の侘び寂びをいや増しに。コールアングレの音色は震えが来るほどきれいでしたねぇ。主を心配するクルヴェナールの歌唱も立派。それに続いて30分ぐらかかるトリスタンのモノローグが凄かったですねぇ。自分の来し方を語るうちに、いつしか分かちがたい死への憧れとなっていく。僅かな動作で心理状態を表現するニャリの演技力には感嘆しました。イゾルデの到着を知り、狂喜して包帯を引きちぎるトリスタン。そして死。追いかけてやってきたマルケ王の一行。媚薬を飲んだせいなのだと知った王。だから許してやる。ただ、それはほんの表層。媚薬を飲む前から二人の愛は必然だったとする、ワーグナーの策略を知ったらマルケ王はぶったまげるだろうなぁ。クルヴェナールがメロートを討ち、ここより「イゾルデの愛の死」。この演出ではイゾルデがホントに死んだのかどうか、よくわからなかったんですが、イゾルデの赤い衣装と赤い照明、そして血塗られた真っ赤な月がゆっくりと地平線上に沈んていくラストは強烈な印象を残しました。


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昨日は合計で40ミリぐら降ったんだそうだ。

今日は一転して快晴。ただやや強い北風が吹いています。


ピンクのマーガレット


赤いマーガレットは咲き出したところです。


ヴェロニカ




寒いんですが、芝生は発芽しています。


全体的に緑が少し濃くなったでしょうか。


隣の現場ではシートが掛けられています。