長谷寺2025/12/08 13:54

長谷寺に行くか室生寺へ行くか。バスの便が両方を結んでいた頃は問題なかったんですが、今は室生寺に行くには1時間に1本のバスしかない。日も短くなっているし、両方を回るのはちょっと慌ただしいんで、今回は長谷寺だけ攻めてみました。

長谷寺の駅から歩いて15分ぐらい。歩道もなく車の往来の多い2車線の道路を縫うようにしてたどり着きます。

(鎌倉の長谷寺には次のような看板が立っているそうだ)
本尊の十一面観音像は日本最大級の木造の仏像です。寺伝によると、開山の徳道上人が大和国(奈良県)初瀬の山中で見つけた楠の巨大な霊木から、二体の観音像が造られました。
 一体は大和長谷寺の観音像となり、残る一体が衆生済度の願いが込められ海に流されたといいます。その後、三浦半島の長井浦(現在の発声・はつせ)あたりに流れ着いた観音像を遷(うつ)し、建立されたのが長谷寺です。

とまあそんな由来でございます。三浦半島の発声(はつせ)に流れ着いたってぇのは、偶然なのか必然だったのか? 現在は初瀬(奈良)の長谷寺は真言宗豊山派の総本山。鎌倉の長谷寺は浄土宗の寺院。


ちょっと石段を上がった先に山門。


山門をくぐると屋根付きの石段、登廊(のぼりろう)が続きます。


登廊の途中で右に折れると、こんな景色。




中央奥に小さく写っているのが二本杉(ふたもとのすぎ)。


右端に写っているのも二本杉。これは構図を完全に失敗しました。

源氏物語で夕顔の娘である玉鬘(たまかずら)が、かつて夕顔に仕えていた右近と運命的な再会を果たすシーンに登場するのがこの二本杉。

二本の 杉のたちどを 尋ねずは  
古川野辺に 君を見ましや
(右近)
現代語:長谷寺に詣でていなかったら、姫に会えたでしょうか

初瀬川 はやくのことは知らねども
今日の逢瀬に身さへ流れぬ 
(玉鬘)
現代語:昔は知らないけど、今日会えたのが嬉しくて、初瀬の川に身まで流れてしまいそう

夕顔と頭中将の間に生まれた玉鬘。夕顔は光源氏との逢瀬の最中に事故死(一説には六条御息所が関係しているとかしてないとか)。4歳の玉鬘は母親の死を知らずに、乳母に連れられて九州へ。ここで美しく成長し、地場の豪族などから求婚されるが、拒んで上京。神仏の加護を求めた長谷詣の宿で、右近と遭遇します。右近は今では源氏に仕える身。右近の口利きでめでたく源氏の屋敷六条院に養女として引き取られます。メデタシ、メデタシ。ところが玉鬘は源氏が毛嫌いする髭黒の大将と結婚しちまうんですなぁ。

本堂の賓頭盧尊者。体の悪いとことを触ると、治るんだとかなんとか。
御本尊の十一面観音は開帳されていて、内々陣まで入って直接触ることもできたんですが、なんせあたしゃケチだから、1000円も払って足に触らせて貰おうとは思わなかったのさ。
その代わりと言っちゃなんですが、2022年4月に訪れた際のブログ記事です。この頃はコロナの全盛期だったので、桜は満開、人はまばらな長谷寺でした。


崖作りの本堂正面。清水の舞台よりはちょっと狭いかな。






十二時の時報。鐘を叩いて法螺貝を吹き鳴らします。


菊の鉢を石段に並べています。花のお寺です。




ここでも花梨の実がたわわに実っていました。


ドウダンツツジの生け垣。

當麻寺(たいまでら)2025/12/07 10:50

當麻寺はかなり不便なところ。ひょっとしたら大阪のほうが近いのかな。ここらへんまるで土地勘がないので、ジョルダンにおんぶに抱っこでございます。橿原神宮前で乗り換えて、順調に行けば15分程度なんですが、各駅しか止まらない駅で、区間急行とやらがやってくると、途中で乗り換えたり、あるいは帰りは1時間に2本しか止まる電車がなかったりと、かなり面倒なところです。


當麻寺の駅から門前町を歩いていくと、相撲開祖「當麻蹶速(たいまのけはや)」の塚なるものに出会いました。古事記とか日本書紀によると、垂仁天皇の時代(実在したとすると3〜4世紀頃、まあもちろん天皇って言葉はなかったんですが)、出雲の野見宿禰(のみのすくね)とこの地の当麻蹶速(蹴速とも)がスモーを取ったんだそうだ。蹴速っていう字からも分かる通り、当時のスモーは足で蹴りあったらしい。宿禰が蹴速の脇骨を蹴り折り、更に倒れた蹴速を踏みつけ、腰骨を踏み折り、蹴速にトドメをさしたという。う〜む、相撲のオリジンは神事なんだそうだが、ちょっと痛そうだ。


ここらへん、壬申の乱の故地なんですが、大津の大友皇子の手下が、難波の側から藤原京に攻め込む際に、正面に見える二上山(にじょうさん、ふたかみやま)越えの道から侵入したらしい。なんだか3つぐらいルートがあったそうだ。


當麻寺は聖徳太子の弟の麻呂古王(まろこおう)が弥勒菩薩を本尊として創建したんだそうだ。要するに古い。で、参道も土産物屋はないけど、かなり立派な家が立ち並んでいる。




この豊かさは聖徳太子の時代から代々受け継がれたものなのだろうか。そんなことはねぇな。


10分ほどで山門に着きました。東向きの東大門です。




門をくぐって正面の鐘がまずは国宝。この寺は国宝を8つ、重要文化財を31所蔵しています。法隆寺、興福寺ほどではないものの、かなり由緒正しい寺院。


中之坊は中将姫剃髪の地と伝わっています。とんでもなく信心深い人だったみたい。










庭園から望む東塔(奈良時代末期らしい)。この庭は国の名勝史跡になっています。










光悦寺垣。


なんかプードルを彷彿とさせる松の仕立て。






西塔(平安時代初期らしい)


金堂。弥勒菩薩、四天王なんかが入っています。


講堂。阿弥陀如来が2体。でっかい地蔵菩薩なんかがあります。


本堂。中将姫の曼荼羅の何代目かの複製が本尊として飾られていますが、その周りの厨子とか、須弥壇がすばらしい。「触らないでください」と書いてありますが、いやあ見事な須弥壇です。平家の南都焼討の火の粉を浴びた寺ですが、確か頼朝が再建して寄進したんだったかな。


西塔


ここらへんは奥の院かな。高野山の真言宗と、法然の浄土宗は結構相性がいいみたいで、このお寺も古いところは真言宗、比較的年代が下った部分は浄土宗という棲み分けになっています。どちらも、瞑想と念仏という実践的な行為が主眼の宗派ですね。




東塔と西塔が見渡せる場所。奥の院の一画。




西塔


奈良のホテルにもどったら、満月(スーパームーン)でした。

奈良公園2025/12/06 21:37

2日目は天気がイマイチだったので、奈良公園をぶらぶら。


















このたびは ぬさもとりあへず 手向(たむけ)山
もみぢのにしき 神のまにまに

百人一首の菅原道真の歌です。東大寺の三月堂と若草山の間にある、細長〜い神社が手向山八幡。本当にここで詠んだ歌なのかどうか疑わしい限りですが、道真がここに腰掛けたんだそうだ。


春日大社のちょっと手前。水谷茶屋のあたりに、ちょこっとモミジが残っていました。


この鹿さんの辺りを払うような貫禄。なかなかのものです。

安倍文殊院2025/12/06 21:03

談山神社の帰りに安倍文殊院に寄ってみました。このお寺の名物はなんと言ってもこれ。

渡海文殊群像。(お寺のホームページから借用しました。)


その他、浮御堂も名物かな。






ちょっとだけモミジもありました。


安倍晴明の誕生の地でもあるんだそうで、まあ学問(?)の仏、文殊を祀ってあります。お寺のご利益は極めて明確で、冬は合格祈願、その他の季節は厄除け。安倍元総理大臣が寄進したらしい灯籠もありました。厄除けのご利益は??? 折から奈良地裁で山上君の裁判が行われていますね。

やまとはくにのまほろば***談山神社2025/12/06 20:14

ヤマトタケルの有名な歌。飛ぶ鳥の明日香のはずれ、談山神社に行ってみました。京都通の人でも、奈良の談山神社の紅葉は認めざるを得ないと言います。ただ今年は11月から12月にかけてかなりの冷え込みで、ほぼ紅葉は終わっていました。

鳥居横のドウダンツツジの植え込み。






中臣鎌足(のちの藤原鎌足)が中大兄(のちの天智天皇)と蘇我入鹿の暗殺を語らっとされる談山神社(たんざんじんじゃ)。








サザンカの咲き始め。


鎌足の倅の定慧という坊主が父の菩提を弔うために建てた妙楽寺というの本来の姿。廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた明治初期に神社に姿を変えて生き残りを図ったんじゃないだろうか。もともと神仏混淆ではあったらしい。鎌足の長男定慧(じょうえ)は短命でしたが、次男不比等(ふひと)は還暦まで生きたようです。






総社本殿を見下ろす。


権殿から十三重の塔を見上げる。


石塔は見かけることがありますが、木造檜皮葺の十三重の塔は唯一のものらしい。








手水舎の奥に小さな池。


上にたわわに実っているのは花梨だそうだ。


拝殿に上がってみました。


吊り燈籠がたくさん並んでいます。




時期が時期なら、きれいなんだろうなぁ。


本殿と灯籠


入口の鳥居のあたりはちょっと紅葉が残っていました。と言っても黄色っぽい感じ。