音楽でつづる文学8 源氏物語「浮舟」@紀尾井小ホール ― 2024/12/19 17:01
昨日(12月18日)は紀尾井小ホールで、源氏物語の浮舟にまつわる邦楽を聞いてきました。今までここの小ホールには足を踏み入れたことがなかったんですが、客席250ほどの小ぢんまりとした居心地のよいホールでした。お客さんは半分ぐらい入っていたでしょうか。
曲目についての解説が30分ほどあって、まず萩岡松柯の箏と歌で箏組歌「橋姫」。箏組歌ってジャンルはかなりマイナーですね。箏を習っているって人でも聞いた経験がない人がほとんどじゃないでしょうか。形式がかなり厳格に決まっているらしく、今に伝えられているのが30曲あまりと、そう多い数ではないようだ。山田流の奏者だそうだが、箏の音色と響きが澄んできれい。ここのホール邦楽にはうってつけのようだ。「橋姫」の実演と解説がありましたので、こちらのページをどうぞ。
休憩を挟んで後半はまず、地歌の「新浮舟」。米川敏子の箏、大学敏悠の三味線、青木鈴慕の尺八。米川は先代の人間国宝の跡を継いだ二代目。青木鈴慕も人間国宝だった先代の跡継ぎ。大学敏悠という人はしょっちゅうNHKに登場しているんですが、ひょっとして先代のお弟子さんとかそんなような年回りに見えました。この3人の「新浮舟」はそれこそテレビでもしょっちゅう拝見していますが、実演は初めて。地歌とはいえ手事物で結構デーハーな曲です。
〽まれ人の、心の薫り忘れねど、色香もあやに咲く花の、徒し匂いにほだされて…
薫と匂宮を詠み込んだ詞章から二人の貴公子に愛された浮舟の苦しさが伺えます。手事が終わって後歌は
〽身も宇治川の藻屑と、なり果てなで世の中の、夢の渡りの浮橋を、たどりながらも契りあれや…現に返す小野の山里。
横川の僧都に助けられた浮舟は出家して小野の里で暮らしましたとさ。それにしても、つい先日宇治川を訪ねたばかり。うん、あの川の流れは泳ぎの達人でも溺れるねぇ。地下鉄東西線の小野駅あたりかと思っていたら、現在の一乗寺下り松のあたりが小野だったんだそうです。ちょうど比叡山麓あたりですね。現在では京都ラーメン激戦区。三味線の大学さんは飄々としていましたが、表情とは裏腹にしっとりとした語り口。米川も負けじと美声を聞かせてくれました。青木鈴慕は先代にもまして美音でございました。
最後に喜多流の半能「浮舟」。このホールで能をやるのは珍しいそうだ。前場(まえば)のワキが初瀬詣をして帰京途中の旅の僧。里の女が僧に請われて浮舟の物語を語り、自分は物の怪に悩んでいるので、救ってほしい。自分の家がある小野の里で待っていると言って消える。ここまでの前場は省略。後場(あとば)のシテ(浮舟)は友枝雄人。旅の僧侶が浮舟の旧跡を訪ねて読経していると、狂乱した浮舟の亡霊が出現。入水後に横川の僧都に助けられ、小野の里で暮らしていたはずの浮舟ですが、死後の世界ではなおも苦しんでいた。旅の僧の供養により、浮舟の妄執が晴れるというお話。30分足らずのコンパクトな上演でしたが、旅の僧の張りのある声、シテ狂乱の場面の凄まじさ。そして、囃子方の能管の澄んだ音色、鼓方の掛け声と変幻自在な鼓の音色。これぞ一級品のアンサンブルでございました。このところ変な演奏会ばかり続いて、途中で帰ってしまうことも多かったんですが、シェイクスピアじゃありませんが終わりよければすべてよし。今年もいい音楽を聞けました。
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