神泉苑 ― 2024/04/29 15:55
京津線 ― 2024/04/29 21:51
翌日は滋賀の石山寺へ行ってきました。『光る君へ』の中でまひろは、朝方京を出発し逢坂の関を越え、瀬田川を舟で下って夕方に石山寺に入ったということでした。滋賀と言っても京都に近いところで、現代の電車では30分かそこら。ところがこの電車がなかなかのものでございました。京阪電鉄の京津線(けいしんせん)といいます。起点は御陵(みささぎ)駅、終点は浜大津。距離にしてたったの7.5キロなんですが、これが一筋縄ではいかないスグレモノ。
まず御陵という地名は御廟野古墳に由来するんですが、これが天智天皇陵と呼んでほぼ差し支えないという代物。古代の天皇陵で被葬者がほぼ確定している数少ない陵墓です。天智天皇といえば若くは中大兄皇子と呼ばれ、中臣鎌足と図って蘇我入鹿を暗殺(乙巳の変)。皇太子として大化の改新を断行した人物と伝わります。ちなみに中臣鎌足は天智天皇から死の前日に藤原の姓を賜ったとされてます。まさに藤原氏の始祖。倅は不比等。
それで京津線ですが、わたしゃ鉄オタじゃないんで詳しいことはこちら。要するに、地下鉄と登山電車、それに急カーブをこなせる鉄道になっているんですね。噂によると隣を並行して走っている東海道新幹線よりも高額な車両なんだとか。今でも年間15億円程度の赤字が出ているんだそうで、一時は廃線の検討もされたらしい。
御陵駅を出発して地上に出ると(市営地下鉄から分岐)、いきなり急カーブが2回。
右へ左へのグニャグニャ路線。
かと思ったら複雑なポイントですねぇ。
かつて逢坂の関があったあたりには大谷という駅があります。
江戸時代以降切り通しが掘り下げられたりしたために、逢坂の関の正確な位置はよくわからないらしいんですが、この大谷駅のあたりが66‰という急坂になっています。旧信越線の碓氷峠に匹敵する傾斜。碓氷峠はアプト式の山岳鉄道でした。
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関(蝉丸)
夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ(清少納言)
このあたりは国道1号線とほぼ並行しています。
この辺は軌道にスプリンクラーの水がかけられているあたり。
右にカーブしてから
左に曲がって
道路との併用軌道になります。チンチン電車みたいですね。ただ60メートルを超えるチンチン電車は珍しい(ここだけ)。
最後のカーブを曲って浜大津駅に入っていきます。
石山寺の駅
いずれがアヤメ、カキツバタ
ポールに藤の花が絡めてあって、造花じゃありません。
石山寺 ― 2024/04/29 22:25
石山寺の東大門に到着。石山寺の駅からは歩いて7〜8分でしょうか。
仁王像は湛慶・運慶作だとか。
新緑の候
御影堂
真言宗のお寺なんですが、なぜか本堂の脇に蓮如堂なるものがあります。石山寺と石山本願寺をかけたのかな(嘘)。蓮如上人の生い立ちに関することみたいで、蓮如堂となったのは明治以降のことだそうだ。
石山寺硅灰石。石と坂はタモリに任せよう。
岩の上に建っているのが本堂。
鐘楼
多宝塔
月見亭。後白河法皇がやってきた際に建立されたとか。
月見亭からは眼下に瀬田川が見下ろせ、東向きの斜面ですから月影も美しいんでしょう。
崖からせり出した懸崖造りで、木組みの部分は板で覆われています。
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