8/28 反田恭平リサイタル@宮城・電力ホール2021/08/29 15:40

昨日は反田恭平を聞きに仙台まで行ってきました。重要かつ緊急の外出です。電力ホールはかなり古い、おそらく昭和30年代に作られたビルの7階にあるホール。エレベーターが2台しかないし、時節柄ギュウギュウには乗せられないというわけで、建物の外にまで行列ができていて、かなり開演時間が遅くなりました。ステージにはつや消しなのか、それとも手垢でベタベタに汚れているのかよくわからないスタインウェイが鎮座。これが世にいうホロヴィッツのスタインウェイというやつだそうだ。現在は松濤の高木クラヴィーアが所蔵しているものらしい。1983年来日時の演奏

曲目はオール・ショパン

ノクターン第17番 ロ長調Op.62-1
ワルツ 第4番ヘ長調Op.34-3
スケルツォ第2番 変ロ短調 Op.31
バラード第2番 ヘ長調Op.38
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ Op.22
3つのマズルカ Op.56
ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調「葬送」Op.35

(アンコール)
ラルゴ
ポロネーズ第6番変イ長調 Op.53(英雄ポロネーズ)

先月のショパンコンクールの予備予選で弾いた曲が多くを占めています。最初の一音から音楽に没入する集中力はさすが。さり気なく気取りなく弾いているようでいて、細部まで音楽を磨き抜き、音色をコントロールし尽くした演奏が繰り広げられます。いわゆるホロヴィッツのスタインウェイのきらびやかな音色の可能性も相俟って、音色のパレットが無限に広がります。確かに古いホールで響きの点ではやや難があるのかもしれません。さらに空調のサーっという音がずっと響いていて、感興が削がれるという事実もありました。しかしそれらを補って余りある演奏技量だったと思います。反田の場合フォルティシモにも無限の段階があって、その可能性の広がりを目の前で感じさせてくれるし、ピアニッシモにも同様のことが言えて、弱音方向への無限の広がりを感じさせてくれます。それに伴って音色も千変万化の各段階を繰り出し、一音一音があるべき強さ音色で奏でられていく。同じ音形が出てきても決して同じではなく、微妙にニュアンスを変化させていく。また内声をよく響かせ、二本の手で3重奏、4重奏のように歌い交わす。こういうピアニストは日本人には珍しいですねぇ。

ショパンコンクールの予備予選では弾いていなかった、スケルツォの2番が見事な出来で、叩きつけるようなフォルティッシモであっても十分な余裕があって、決して限界を感じさせない、音が濁らない、弱音も然り。また急速なパッセージでも、これみよがしな技巧のひけらかしに堕すことなく、一音一音が輝いて聞こえてきました。ピアノソナタはどうだったのかなぁ。作品自体ショパンの特徴的な音楽とは言い難いし、反田恭平なりの解釈で押し通したようだ。つまり当時のポーランドの悲劇的状況を表している、と。立派なソナタ形式の第1楽章に続いて、自暴自棄的なスケルツォ、第3楽章の葬送行進曲、墓場を吹きすさぶ冬の嵐のような第4楽章。確かに政治的意味合いに解釈すれば辻褄は合うのかもしれません。またアンコールで演奏した英雄ポロネーズの輝かしい解放感とも呼応していると反田は解釈しているようだ。

この日の演奏で一番印象に残ったのはマズルカかなぁ。決して咆哮するような音楽ではないけど、内声を豊かに響かせ、インティメートに紡ぎ出す一番ショパンらしい音楽でした。

ところでワルツの4番というのは、「猫のワルツ」と呼ばれることもあるんだそうだ。今でも覚えているのは、あのスタニスラフ・ブーニンが1985年のショパンコンクールの2次予選で弾いた演奏。審査員の中でも「ありゃあ、ワルツじゃなくてコサック・ダンスだ」って声が上がったそうですが、ブーニンという人、まさにあの瞬間が頂点だったんですねぇ。エキセントリックな弾き方を個性と勘違いした審査員のおかげで優勝してしまいました。現在、日本人と結婚して日本に住んでいるそうだ。どこかの音大のセンセをやっているらしい。

昼過ぎに仙台に着いてまず腹ごしらえと思って入った駅ナカのオイスターバー、おいしかったなぁ。夏の牡蠣もいいものだ。昼食の時間帯で、お客さんもまずまず入っていました。仙台でも禁酒法が施行されているんで「ビアリー」とかいう低アルコールのび~るで喉を潤してからの、ツルンとした生牡蠣が堪らない美味。「隣の客はよく牡蠣食う客だ」なんてシチュエーション超限定のダジャレを言いたくなっちまったのさ。