そうだ京都、行こう 11 北野天満宮・御土居のモミジ2019/12/04 14:38

豊臣秀吉は京都を土塀で囲った。1591年の1月から3月までのおよそ2ヶ月間で全長22キロにも及ぶ土塁を築いたそうだ。膨大な量の土をどこから持ってきたのか、なんでそんなに急ぐ必要があったのか、わからないことだらけのようです。土塁の断面は基底部が幅20メートル、上部の幅が5メートル、高さ5メートルの台形。塀で囲った内側を洛中、外側を洛外と呼ぶようになったんだそうだ。江戸時代にはその大半が取り壊されてしまったんですが、北野天満宮(天神様)の境内のはずれにその御土居(おどい)の遺構が残っていて、秋にはモミジの名所となっています。ちなみに入場料700円には老松の茶菓子とほうじ茶の接待が含まれていました。



御土居の上部、確かに幅5メートルほどの遊歩道が続いています。





ここのモミジはかなりの巨木になっています。





現在、本殿は修理中のようでしたが、一部分足場とシートが外されているところもありました。




御土居の下に降りてみます。


モミジの葉っぱはきれいに紅葉していました。


結構でっかい木があります。



御土居の下には紙屋川(天神川)が流れていて、自然のお堀のようになっています。この川沿いのモミジもみごと。






川に覆いかぶさるように巨大なモミジの枝が伸びています。


そうだ京都、行こう 12 退蔵院2019/12/04 20:07

北野天満宮の門前で客待ちのタクシーをつかまえて、妙心寺の塔頭、退蔵院に向かいます。すぐそばの北野白梅町の駅から嵐電で行くこともできそうなんですが、そもそも妙心寺という寺院がとてつもなく広大な敷地だし、妙心寺の駅から退蔵院までかなり距離がありそうなんで、手っ取り早く近くまで行ってくれそうなタクシーに乗っちゃいました。


退蔵院は妙心寺の南側の門から入って、ちょっと歩いたところにありました。


なかなか期待を抱かせるエントランスです。

順路通りに進んで行くと、最初はごく普通のお寺のようにも見えます。


まあありがちな築地塀。



小さな門構えを潜ると景色が一変します。ここは春にはみごとな花を咲かせるしだれ桜の真下。多分広角レンズとか魚眼レンズを使わないと撮影できないんじゃないでしょうか。


見通しのいい景観が急に目に飛び込んできます。こういった庭の作りは面白い。


このあたりに水琴窟がありました。竹筒が地面に挿してあって、自然に増幅されたきれいな音が聞こえます。





先ほどの四阿の向こう側に回り込むとまた別の世界が現れます。


生々流転とでも言うんでしょうか、深山幽谷から湧き出した水が大海に流れ込むまでの様子を描いたかのような風景。



南禅寺の近くにある無鄰菴の庭もこんな情景を描いていました。







******************
中村哲医師がアフガニスタンで銃撃されて亡くなったそうだ。享年73。政治的な立場を超越してアフガンの人々の生活のために最後まで尽力した、希有の存在でした。ご冥福をお祈りします。

そうだ京都、行こう 13 仁和寺2019/12/04 23:22

退蔵院を出て妙心寺の広大な敷地をブラブラ歩いて嵐電の妙心寺駅へ。一駅だけ乗って仁和寺で下車。仁和寺の駅はお寺の目の前。間違いようがない所です。


きぬかけの道に面して仁王門が建っています。阿形の金剛力士。


吽形の金剛力士。一対で普通は仁王さんと呼ばれます。


五重塔。東寺に比べると一回りか二回り小さい感じ。




わざわざ仁和寺までやって来たのは、モミジを期待したんじゃなくて、国宝初公開もどうでもよくて、「延長決定」の方。作られてからこれまで数百年の間非公開だった観音堂の内部が、初めて人目に晒されているというではありませんか。去年一日だけ公開された時の新聞記事。延長決定の告知。三十三間堂も同じですが、ご本尊はまあどうでもいいっちゃどうでもいいんで、脇にいる二十八部衆、風神・雷神など眷属(パシリ)が目玉なのよぉ。東京でご開帳されたときの様子


ワクワク・ドキドキしながら観音堂の内部を堪能してから境内をざっと見て回りました。これは金堂かな。修復が終わってしとみ戸の漆がぴかぴかに輝いていました。



それほど期待してきたわけじゃないんですが、モミジもそこそこ。




御室桜の紅葉

最後にもう一度五重塔を振り返って見ました。