7/24 ギルバート指揮都響で、モーツァルトの39,40.41番@池袋2022/07/25 14:13

昨日(7月24日)はアラン・ギルバート指揮の都響を聞いてきました。曲目はモーツァルトの39番から41番まで。ここ池袋の芸術劇場では21年前にトン・コープマン指揮のアムステルダム・バロックオーケストラでモーツァルトの交響曲全曲演奏会が開催されました。その頃とは比べ物にならないほど、モダンのオケでも古楽的なアプローチが盛んになってはいます。都響ではエリアフ・インバルが都響に登場したのが奇しくも1991年。その時はショスタコのプログラムと並んで、モーツァルトが曲目に入った日もありました。そのモーツァルトたるや、腐臭が漂ってくるような古めかしい代物。タコを振るとあれだけ熱演をするのに、あのモーツァルトは一体なんだと自問自答したものです。そういった時代とは明らかに変化した都響を昨日は聞いてきました。引き締まった弦楽器の音色、デュナーミクのコントラストなどモーツァルトらしさが満載ではありました。ただ一点、弦楽器と管楽器のバランスがありえない。弦の響きの中に管楽器が埋もれてしまうなんてことは、モーツァルトの時代にはありえないことです。例えば39番のメヌエット。トリオのクラリネットが登場するあたり。美しい音色ではありました。弦の響きがクラリネットと対立するからこそ生まれる、あの緊張感がまるでない。まるでムード音楽のように弛緩した歌謡性。確かに聴きごたえのある瞬間もありました。例えば40番の第1楽章。弦の刻みから第1主題が浮き上がってくるところ。第4楽章の、小林秀雄いわく「疾走する悲しみ」の部分など。デモーニシュな部分に関してはかなり聴き応えがありました。でも41番はどうでしょう。ティンパニとラッパの輝かしい音色が、弦楽器の分厚い響きを突き抜けてこないんですねぇ。アポロン的な響きという点ではイマイチ物足りなかったかな。



ところで、丸善本店の先の大臣(さきのおとど)追悼コーナー。並んでいる本が秀逸。