11・28 ロッシーニの『ウィリアム・テル』@新国立劇場2024/11/29 14:42

昨日(11月28日)は二国で『ウィリアム・テル』を見てきました。スタッフ&キャスト、あらすじ、写真、ダイジェスト映像などはこちら。舞台写真はこっち


お馴染みの話ではありますが、原作はフリードリヒ・シラーの『ヴィルヘルム・テル』。それがどうして日本で『ウィリアム・テル』と英語読みで呼ばれるようになったのかはわからない。ロッシーニは39歳でオペラの筆を折ってしまった。つまり『ウィリアム・テル』が最後のオペラということになります。1829年初演。その当時ロッシーニはボローニャでもフィレンツェでもなく、何故かパリに住んでいて、フランス語の歌詞に作曲しています。従って、『ギヨーム・テル』と呼ぶのが正しい。その当時のパリはグラントペラ(大歌劇場)という様式のオペラが人気で、その様式のオペラの傑作が『ギヨーム・テル』ということになります。フランス人の好みに合わせてグラントペラはパレエのシーンが挿入され、4幕ないし5幕という長大な芝居であります。このグラントペラのもう一つの傑作がヴェルディの『ドン・カルロス』。(ロドリゴとドン・カルロの二重唱、ホセ・カレーラスとピエロ・カップッチッリ)。これも原作はシラーです。それからグノーの『ファウスト』もグラントペラ。(グノーのファウストから兵士の合唱、「我らの祖先の不滅の栄光」」)。こちらは言わずと知れたゲーテの作です。歴史的事件を題材にしたり、有名なな戯曲に基づいたオペラということのようです。

ロッシーニは明治維新(1868年)まで生きましたが、後半生は美食と蓄財に励んだようです。この『ギヨーム・テル』を見てなんでそうなったのか、その一端が垣間見えたように思います。端的に言えば自分のスタイルが時代に合わなくなった。モーツァルトは今でもハッと驚かされるような切れ味鋭い感性を持っている。ベートーヴェンはあれだけの音楽的な革命を成し遂げた。さて自分はと思ったとき、ロッシーニは自己の儚さを痛感したんじゃなかろうか、そんな気がします。

さてさて、平日のマチネーでしたが、2時に始まって跳ねたのが6時40分という長丁場。東京から新幹線で京都まで往復できる長さだ。第1幕はほのぼのとした農村の結婚式。後半にちょこっと悪代官ジェスレル(ゲスラー)の手下と民衆の絡みがあって、長老のメルクタールが逮捕される。ここまで1時間10分。第2幕はルツェルン湖の畔のリュトリの丘。メルクタールの倅アルノルドとハプスブルク家の令嬢マティルドとの逢瀬の場面。アルノルドは帝国軍に加わろうとしている。だがそこにテルとその仲間のヴァルテルが現れ、父親メルクタールが殺されたと教えられる。アルノルドは帝国軍に入るのをやめ、復讐を誓う。この三重唱はすごい迫力でした。その直後にスイス三州からの愛国者が合流。第2幕は55分。

第3幕と第4幕は通しで1時間25分。宮殿の礼拝堂でアルノルドから彼の父親が殺されたと告げられたマティルドは絶望し、別れを告げる。町の広場では悪代官ジェスレルが民衆に対して、ハプスブルクの記念碑に挨拶せよとか、自分のかぶっている帽子に敬礼せよとか馬鹿な要求をする。テルが通りかかって敬意を示さなかったので、倅のジェミの頭にりんごを乗せて弓で射よと命ずる。首尾よくテルは成功するが、もう一本矢を隠し持っていて、失敗したらジェスレルを射るつもりだったと答え、逮捕される。りんごを射る場面、那須与一の「南無八幡大菩薩」じゃありませんが、テルのアリアは実に感動的でした。息子のジェミはマディルドが割った入ってなんとか救われる。

4幕は荒れ果てた父の家を訪れて嘆くアルノルドの歌「先祖伝来の住処よ」から、「友よ、私の復讐を助けてくれ」、「武器を取れ」までどんどん気分が高揚していく様を歌い上げてなかなか感動的。そしてテルの妻エドヴィージュが加わって、息子のジェミとマティルドの3重唱は美しかった。フィナーレはプロジェクションマッピングで嵐のシーンを映像化。ジェスレルの船が岸に乗り上げ、テルが脱走し、ジェミから手渡された弓でジェスレルの心臓を射抜く。湧き上がる自由を賛美する大合唱。---幕

ストーリーとしてはかなり単純なんですが、なんでこんなに時間がかかるんだろう。1幕2幕あたりはちょっと寝落ちちしそうになってしまった。台本に欠陥があるんだと思うし、無理やりグラントペラにする必要もなかったのかなぁ?

テルのゲジム・ミシュケタは深いバリトンの声で、特に3幕でりんごを射抜く場面の祈りに近いアリアは聞かせてくれました。アルノルドのルネ・バルベラは伸びのある豊かな声で尻上がりに調子を上げてきました。ヴァルテルの須藤慎吾、2幕の三重唱は凄かった。マティルドを歌ったオルガ・ペレチャッコは美貌と繊細な歌い回しが良かったですねぇ。ちょっとだけビブラートを控えめにして欲しいです。この人『ルチア』の初演のときのタイトルロールでした。エドヴィージュ役の齊藤純子も落ち着いた歌い口でよろしかったですね。そしてジェスレルの妻屋秀和。この秋の褒章で紫綬褒章を受賞したそうですが、いやあなかなかの悪代官ぶり恐れ入りました。

大野和士指揮の東フィル。長丁場を難無く乗り切った感じ。チェロの深い響き、トランペットの高揚感、そしてそこここに散りばめられたホルンのアンサンブル、どれもお見事。そして合唱団。二国の合唱の実力を遺憾なく発揮した大迫力の舞台でした。都響からのメールでは大野和士は12月と来年1月の演奏会をキャンセルしたらしいんですが、指揮者の職業病、頚椎症が悪化して手術をするみたいです。手術前の最後の舞台。カーテンコールでもちょっと動きがぎこちなかったかな。

演出は基本的にナチス対ユダヤという読み替えというか、そういうシチュエーションだったと思いますが、最後にガザの廃墟の写真が映し出され、ある一定の問題意識はあるのかなぁと思われました。ヨーロッパでは言論統制がかなり激しくなっているようで、向こうのオペラハウスでは見ることのできない画像でございました。『ぶらあぼ』のサイトにガザの廃墟の写真が掲載されています。このページの一番下の写真

『ギヨーム・テル』序曲。マリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団。



************
このところ小春日和が続いています。今日も最高気温は16℃を越えています。




ドピーカン


オレンジ・マザースデイ







11/9 ドニゼッティ『連隊の娘』2024/11/10 11:27

昨日(11月9日)は日生劇場でドニゼッティの『連隊の娘』を見てきました。公演情報、あらすじ、スタッフ&キャスト等々はこちらから

なかなかポップな舞台。演出は粟國淳。二国でツェムリンスキーの『フィレンツェの悲劇』、プッチーニの『ジャンニ・スキッキ』、同じくプッチーニの『修道女アンジェリカ』、ラヴェルの『子供どもと魔法』など、悲劇から喜劇まで幅広く演出を手掛けている人です。今回の『連隊の娘』は、おもちゃ箱をひっくり返したような楽しい舞台でした。特に合唱の動かし方がうまいねぇ。合唱団にもダンスの要素を振り付けて、雑然とした中にも秩序が感じられる興味深い表現方法でした。また衣装や大道具・小道具の類もそれぞれに工夫を凝らして、楽しかったねぇ。

歌手ではマリーを歌った砂田愛梨が、ちょっと荒削りなところはありますが、スピントの効いたよく通る声と、コミカルな演技で喝采を浴びていました。トニオの澤原行正は急な代役でしたが、ハイCもそつなくこなして、聴き応えのある歌唱。シュルピスの山田大智も、太い声とコミカルな演技が光っていました。合唱も含めて、総じて配役はよかったんじゃないかなと思います。原田慶太楼指揮の読響は、軍楽隊の行進曲と愛を歌い上げるロマンスとの間で大健闘。

ただ1つ言いたいのは、典型的な駄作オペラですねぇ。パリのオペラ・コミックで初演され、その後コミック座で20世紀の初頭までに1000回以上の上演を重ねたそうだが、如何せん音楽が薄味。『愛の妙薬』、『ランメルモールのルチア』、『ドン・パスクワーレ』などと比べて、かなりの駄作だ。この日の日生劇場は満員札止めで客席もかなり湧いてたけど、なんだかなあ。滅多に上演されない作品にはそれなりのわけがある。

『ぶらあぼ』にゲネプロの舞台写真などが載っています。




季節外れの大雨2024/11/02 16:11

最高気温が16℃ぐらい。今のところ雨は18ミリほどですが、これから強まりそうです。ル・ヴァン・カップを見ていたら、延長後半あたりからかなり強く降ってきました。おまけに新幹線が一時止まったりして、名古屋のサポーターがなかなか東京に着けなかったみたい。新潟のサポは新幹線の臨時列車が出て、かなり余裕で到着したらしい。満員札止めのなか、決勝はなかなかいい試合だったけど、PK決着はねぇ。

ちょっと雨が小降りになった時に屋上に上がってみました。三和土は水が溜まっています。


このところ雨が多いので、芝生はどんどん緑が濃くなっています。


芳純。花が雨に濡れて頭をたれています。


クリムゾン・グローリー


ホワイト・クリスマス


パパメイアン。花茎がぐんぐん伸びて2メートル以上のところで咲いています。


ピンクのラ・フランス、赤いパパメイアン


黄色いミニ


クリムゾン・グローリー




ブルー・ムーン。雨にあたって腐りかけているみたい。


ビデンス



懐かしいフレンチ・カンカン。ムーラン・ルージュとかなんかの雰囲気かな。行ったことないけど。

1954年ジャン・ルノワール監督、ジャン・ギャバン、エディット・ピアフなどが登場したフレンチ・カンカンという映画。
フランク・シナトラとモーリス・シュヴァリエおまけにシャーリー・マクレーンまで登場した1960年のハリウッド映画。

そして、ウィーンで大活躍したアメリカの歌姫メラニー・ホリデー。フォルクス・オーパーでは彼女のための演出で、『メリー・ウィドーの中に『天国と地獄』の地獄のギャロップをはめ込んで、フレンチカンカンを歌って踊るのが人気でした。フォルクス・オーパーの来日公演のたびに話題になりました。

ベッリーニ『夢遊病の女』@新国立劇場2024/10/10 11:33

昨日(10月9日)は二国でベッリーニの『夢遊病の女』を見てきました。スタッフ&キャスト、あらすじ、ムービーなどはこのページ。見つけにくいトレーラーはこここちら。舞台写真はここ

7月に主役のアミーナが交代になって、ちょっとハラハラしたんですが、結果的には代役のほうが良かったんじゃなかろうかってくらい、このクラウディア・ムスキオというソプラノは凄かったですねぇ。声もさることながら舞台映えする容姿も超一流だったような気がします。エルヴィーノのシラグーサは超ベテランで多少の衰えは感じられましたが、まだまだ美声を響かせておりました。すっぴんだと剃り上げたようにまるで毛がないんですが、ヅラがよく外れなかったなぁと妙なところに関心。伯爵の妻屋秀和もなかなか堂に入ったメローな声を聞かせてくれました。あと敵役のリーザを歌った伊藤晴という人も安定していたし、テレーザの谷口睦美も喝采を浴びておりました。前回のトスカに続いて、マウリツィオ・ベニーニ指揮の東フィルがピットに入っていましたが、なかなか聞かせどころ泣かせどころの緩急自在なテンポの揺らし方が絶妙だったんじゃないでしょうか。

相変わらず二国の合唱団はすごいねぇ。と言いつつ、なんとも不気味に思えたのは、第1幕の結婚式の場面でさえ合唱が誰一人として笑顔を見せない無表情な顔つきで歌っている点。そもそもその前にパントマイムが10人ほど出てきて、主役のアミーナを取り囲んでヘンテコリンな踊りともバレエともつかない奇妙な動きをしていました。まあ、想像はつくんだけど実際にやられるとウザったい。そこまで余計なことをして、アミーナの精神状態を解説したいのかねぇ。舞台もかなりチープで、舞台中央に木が一本。それにロープを張って、シーツを干すと、部屋の区切りになるって、まあ『道化師』か『プルチネッラ』みたいな安っぽさ。お客さんに舞台を見続ける気力を失わせるためにわざとチープにしているみたいだ。まあそんなこんなで、超一流の生音を目をつぶって聞くはめになったのでございます。

10月9日公演のハイライトが上がっていました。ラストは教会の庇に乗ってアミーナが歌うんですが、どう見ても命綱をつけてませんよねぇ。かなり怖いシーン。


*************
昨日から秋になりました。冷たい雨が降っていた昨日の最高気温は17.3℃。今日もまだ19℃までしか上がっていません。


スズメ


絶滅危惧種になりそうだとか?




雨が続いている間にオール・ブラッシュの台芽が伸びてきました。たぶんノイバラの類だと思われます。


こんな感じ。


もちろん切って捨てます。


マイスタージンガーと桔梗


ストロベリー・アイス


赤いパレード、白いマダム・アルフレッド・キャリエール


これもパレード。


サハラ


バラを剪定してから2週間ほど経って、新芽がぐんぐん伸びてきました。




雨が続いたのでサルスベリの5番花は短命でした。

酷暑2024/07/29 14:26

今のところ本日の最高気温39.3℃。最低気温27℃。酷暑の日々でございます。

朝っぱらからドピーカン。


サルスベリが暑苦しい限りです。




真夏の庭




桔梗がちょっと涼しげに咲いています。


昨日選定したら早速花を沢山つけています。


芝生はこの時期にしては緑を保っています。




モンテヴェルディの『ポッペアの戴冠』からラストの二重唱「ずっとあなたを見つめ」。ネロがマックス・エマヌエル・チェンチッチ、ポッペアがソーニャ・ヨンチェバ、エマニュエル・アイム指揮のコンセール・ダストレのライブのようです。