テレワーク2022/02/05 19:42

人もすなるテレワークというものを、我もしてみむとてするなり

テレビジョンといえば遠くの映像。テレフォンといえば遠くの音声。テレスコープといえば遠眼鏡。というわけでまずは遠くに出かけてみる。




ハワイです(大嘘)


翌日




翌々日 Die Jacobsleiter(ヤーコプの梯子)




そのまた次の日


スパニッシュ・コロニアル風の建物


お魚


植物












ストレリチア(極楽鳥花)


例年だとこの時期にはこんな景色が見られるはずなんですが、如何せん今年は寒すぎる。



なかなか結構なテレワークでございました。ん、労働してないだろうって? まあ、そこらへんは考えようで、労働には息抜きも必要だ。

N響 下野&小林愛実2022/02/06 20:02

2/6 下野竜也指揮N響 小林愛実 シューマンのコンチェルト他

今日(2月6日)は池袋の芸術劇場でN響を聞いてきました。指揮は下野竜也。この指揮者あまりよくは知らない人だけど、さほど演奏会での露出機会がないのは、それなりにわけがある、そんな感じがしました。この日はすべてシューマン尽くし。まず『序曲、スケルツォとフィナーレ』から「序曲」。面倒くさい題名の曲だ。まあシューマンらしく曲想に自由にが変化してちょこっと華やかな曲。次に小林愛実のソロで、ピアノ協奏曲。第1楽章はかなり控えめなテンポでゆったりと歌いたいんだろうなと思いました。第2楽章は段々眠気を誘う感じで、第3楽章は指揮者がかなり律儀に3拍子を振って、小節の縦線を合わせようとする。これは小林もかなり苦労したと思う。まあそつなくやってはいたけど、ヘミオラをまるで感じてないかのように3拍子に固執されると、テンポの揺らぎや、自由な発想がかなり制限されて杓子定規な音楽になってしまう。

後半はシューマンの交響曲第2番が演奏され、デデちゃんは爆睡。


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今朝は寒かった。このあたりでも-1℃から-4.7℃といろいろな値が上がっていますが、要するに寒かった。

まだ咲いてたのか。パレード






スペクトラ




イエロー・シンプリシティ




オールド・ブラッシュ




芝生の緑は消えかけていますが、それでも今年は頑張っているかな。








マツムシソウ

転ぶときはお尻から2022/02/10 16:28

余計なお世話かもしれませんが…


3/10 井上道義&読響+服部百音2022/02/11 11:28

昨日(2月10日)はサントリーで井上道義指揮の読響を聞いてきました。ヴァイグレの指揮で『エレクトラ』をやるはずだったのが、来日が間に合わず、結局井上の指揮で「特別演奏会」と銘打って1夜だけの演奏会をすることになったみたい。チケットも5000円均一と、かなりいい加減な売り方だ。最初に服部百音をソリストに迎えてショスタコーヴィチのコンチェルト。服部というと20日ほど前にN響でブルッフを弾いたんですが、どうもその感触がよくわからなかったので、せっかくのチャンスというわけで、読響でお口直し。第1楽章の悶々たるモノローグのような、「ブツブツ」呟くような、呻くような、なんとも鬱屈した部分を過ぎると、溌剌としたスケルツォ、堂々たるパッサカリア、そして第4楽章のブルレスケ、見事な演奏でございました。ブルッフを聞いたときにも感じた、テクニックの冴えはこの日も一段と磨きがかかっておりました。イマイチピンとこないパッサカリアですが、見通しよく弾き進め、長大なカデンツァからブルレスケにアタッカで入るあたりはゾクゾクしましたねぇ。そしてこの日のアンコールはまたまたエルンストの、『魔王』。ほんとに超絶技巧がお好きな方とお見受けいたしました。

後半はショスタコーヴィチの5番。井上ミッキーは長い間「日本ショスタコーヴィチ協会」なるものの会長さんをやっていた人(今でもやってるのかな?)。この協会を略して「ショスタコ協会」あるいは「タコ協」と呼び、ミッキーの指揮は「タコ踊り」と呼ばれています(大嘘かも)。

そしてミッキーはタコの5番に対する並々ならぬ思い入れと決意を文章にしています。題して「井上道義が語るショスタコーヴィチ5番」。意外にもかなりシンプルな捉え方をしています。というわけで、いきなりカルメンの主題(ミッキー曰く)で始まる第1楽章。如何にも見通しのいい音楽が流れていきます。第2楽章のスケルツォも、諧謔的というよりは予定調和的な、日本の芸人の喋りのように、毒にも薬にもならない平板な音楽。第3楽章はかなり密度の濃い音楽のはずですが、かなり薄口の歌いまわし。第4楽章のテンポに関しては「8小節目からのアッチェレランドは43小節まで」というのはかなり説得力がありました。それから324小節からのテンポはバーンスタインのような通常の倍速にするか、ムラヴィンスキーのようなテンポにするかってことだと思いますが、ムラヴィンスキーの解釈だったようです。全体的に見通しの良い音楽だったとは思いますが、なんだか物足りなさが残る演奏でございました。

夜7時からの演奏会でしたが、折からの「大雪注意報」のおかげで都心に向かう地下鉄はガラガラ。会社や役所が時間を繰り上げて帰宅を促したのか、9時に跳ねてから帰りの地下鉄もゆったり座れました。かなり稀有な経験。

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昨日は結局23ミリほど降りました。このところカラカラに乾いていたのでちょうどよいお湿りです。今日は朝から快晴で気温もグングン上がっています。



道路は完全に乾いていますが、屋上は流石に雪景色。






でもほんの僅かの積雪なので、ちょっと歩き回ると芝生の地肌が見えてきます。今日も炭粉を撒いておいたので、おそらく午後には溶けてなくなると思います。






パレード


イエロー・シンプリシティ

2/11 鈴木雅明指揮のN響でストラヴィンスキーの『プルチネッラ』と『ペトルーシュカ』2022/02/12 11:28

昨日(2月11日)は池袋の芸術劇場で、鈴木雅明指揮のN響でストラヴィンスキーを2曲聞いてきました。午後7時半開演の短い演奏会です。1917年4月、ロシア革命でデラシネになったストラヴィンスキーは、ナポリに旅行に出たそうだ。同行者はディアギレフ、マッシーヌ(バレエ・リュスのメンバー)、指揮者のエルネスト・アンセルメ、それに画家のパブロ・ピカソ。超豪華メンバーでナポリを満喫したからには、その思い出を作品に残さずにいられようか。というわけで、旅の成果が『プルチネッラ』となって結実します。プルチネッラはコメディア・デッラルテの道化役ですが、そんなことはどうでもいい。初演の指揮がアンセルメ、台本と振り付けがマッシーヌ、舞台美術がピカソ、そして作曲はもちろんストラヴィンスキー。これらがすべて。

プルチネッラのスコアを見たことがないんですが、高音から低音まで弦楽器は5人ずつ。かなりの迫力があって、管楽器の音がかぶって聞こえにくいほど。あそこらへんのバランスのとり方がちょっとイマイチかな、なんて思いました。ほんとにあんな編成なんだろうか。ペルゴレージとその偽作を素材とした、偽古典的な音楽ですが、ストラヴィンスキーにしちゃちょっと垢抜けない。新古典主義とやらがそれ以前の生命力を削いでしまったようだ。鈴木の指揮もなんだか不完全燃焼。

2曲目は『ペトルーシュカ』。1947年版で、管楽器がちょっと刈り込まれたバージョンだそうだが、それにしてもここでも弦が大きすぎる。バレエの繊細かつグロテスクな音楽が、ベタベタ大音響の弦の中に埋もれてしまう。もっと木管楽器の美しさ、金管のダイナミクスと打楽器のはっちゃけた音色を聞きたいところだが、結構弦楽器の圧力が強い。ただし、バレエの場面を思い浮かべるという面白さはなしにして、シンフォニックな音楽として捉えればそれはそれで面白く聞くことができる。まあ、そんなような演奏だったと思います。

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予想したとおり、雪は半日でなくなりました。



炭粉を撒いたのでヒヤシンスの花芽にかかっています。


雪はもう殆ど融けています。


芝生の状態。




緑がかなり少なくなっていますが、それでも例年に比べれば頑張っている方かなと思います。




一輪残されたスペクトラ