春日大社、新薬師寺 ― 2022/04/04 20:38
東大寺をあとに春日大社から新薬師寺に向かいました。
開けたところに出てきました。
天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも
安倍仲麻呂
遣唐使で中国に渡り玄宗皇帝に重用され、やっと帰国が叶ったときの宴席で読んだ歌と言われています。でも帰りの船は難破してベトナムまで流されちゃうんですよね。
若草山ってのは、実は三笠山と同じものだってのを初めて知りました。山が3段重ねに見えるんだそうです。
偉そうな鹿
春日大社の手前の小さな神社の前の茶屋。
あをによし 奈良の都は 咲く花の
にほふがごとく 今盛りなり
小野老(おののおゆ)
小野老は有名な小野妹子のひ孫。下級官吏で大宰府に派遣されていた頃に読んだ都を懐かしむ望郷歌。小野老は九州の筑紫短歌クラブっていう同好会に所属していたそうだ。ちなみに「あをによし」は奈良を引き出す枕詞。
現代語訳1
奈良の都は、咲く花が、香り高く今を盛りと咲いています
現代語訳2
奈良(寧楽)の都は今は、咲く花の匂うように真っ盛りである
(「にほふ」は「嗅ぐ匂い」ではなく、赤や黄や白が目に鮮やかに映えて見えるということをいいました。)
なんて現代語の解釈がなされてきました。ところが・・・
この藤棚を御覧ください↓ 春日大社の参道のすぐ近くの茶屋の前です。藤の根本が他の木を絞め殺さんばかりに巻き付いています。
小野老の歌が読まれた時期は、文武天皇と藤原不比等の娘宮子との間の子である、聖武天皇が724年に即位し、729年には不比等のセガレ4兄弟が政敵の長屋王を死に追いやった、いわゆる長屋王の変なるものが起こっています。これはまさに藤原氏が政権の中枢を担うことになるターニングポイントでありました。さらに大宰府の小野老は長屋王の変の後十五位下から十五位上に昇進しており、太宰府での上司である、反藤原派の大伴旅人に対する、監視役として大宰府に派遣されていたと考えるのが妥当ではないでしょうか。
つまりこの歌は単なる望郷歌なんてもんじゃない、藤原氏の繁栄を賛美する歌だったのではないか。背後にドロドロの権力闘争を感じ取ることができますが、そのように考えると実に鮮やかな勝利宣言と言わざるを得ない。春日大社自体藤原氏の守護神だし、春日大社の萬葉植物園なんてまるで藤のためにあるようなものだ。京都の藤原道長の子供、摂政関白藤原頼通が建てた平等院にも立派な藤棚がある。しかも、最も重要なことは、桜はあまり香らないし、梅は「かそけき」香りだ。ところがフジの花はとても甘くて強くいい香りがする。
春日大社はにはさほど興味もなかったんで、参道を南北に突っ切る「禰宜道」なるものを見つけて新薬師寺に向かいました。
新薬師寺
霊験「新」たかな薬師寺ということだそうだ。かつては七堂伽藍を備えた大規模なお寺だったらしいが、今は本堂だけの小さなお寺です。ただその中にあるものが凄い! 薬師如来と十二神将。
本堂の中は撮影できないので、あたりの静かな町並みを御覧ください。
モクレンでしょうか。
このあたり風情のある土塀をよく目にしました。
鳥籠窓の家
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