6/11 下野指揮N響でブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエム、ブルックナーの0番2021/06/11 21:55

今日は池袋の芸術劇場でN響を聞いてきました。NHKホールの改修工事で、来年まで池袋で定期をやってるみたい。ただN響を池袋で聞くってのは違和感アリアリで、みんなそう感じているのかな、お客さんはざっと見渡して2000人入るホールに200人ぐらい。そのせいか音はビンビン響いて、弦は比較的小編成でしたがホールに満ち溢れる音を堪能しました。

最初にフィンジの前奏曲。弦楽合奏の曲ですが、弦の分厚い響きが心にしみる一曲。第一次大戦を経験した人の悲しみが滲み出た感じがしました。そのまま続けてブリテンの問題作、シンフォニア・ダ・レクイエム。皇紀二千六百年(西暦1940年)とかいうお祭り騒ぎのために日本からの委嘱に応えた作品。リヒャルト・シュトラウスにも委嘱しましたが、こちらは至ってありがちな「日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲」という作品を作曲しました。ブリテンの方は極めてプライベートな思い出をちりばめたレクイエム(死者のためのミサ)を作って日本に送ったら、もちろんあまり評判は良くなくてお蔵入り。戦後になって来日したブリテン自らが、日本初演のタクトを振ったそうだ。ラクリモーサ(涙の日)、ディエス・イレ(怒りの日)、そして最後にレクイエム・エテルナム(永遠の安息を与え給え)の3楽章が続けて演奏されますが、ブリテンの代表作と言ってもいい名作だと感じました。ブリテンはスコアを見ると、いかにもよく書き込んでありますねって感じがします。優等生的な、あるいはコンクールなら優勝って音楽。でも音にすると何だかつまらない。そんな曲ばかり書いたのかと思っていたら、これは名作だ。つくづくよくできた音楽だと感じました。

後半はブルックナーの0番。ドイツ語のNullteは0の序数詞です。英語ならzeroth。言ってみれば第0番。実際には1番と2番の間に書かれたらしいんですが、後のブルックナーの交響曲の萌芽は感じられます。でもどちらかというと、ブルックナーにしてはきれいなメロディーが出てきたり、几帳面な弦の扱いが見られたり、確かにちょっと変わっている。でも美しいブルックナーってのもなかなかいいもんだ。なんて思いながらこの小ぢんまりとした交響曲を聞いていました。

下野竜也の指揮はキビキビとしたドライブ感もあれば、最初のフィンジの曲のようにじっくり弦を聞かせる歌心もあり、なかなか好感が持てました。N響も慣れないホールで頑張っていたと思いますが、イマイチ突き抜けないなぁって、いつもそんな感じになっちゃいますねぇ。でもよく響いていましたよ。


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今年のサミットはコーンウォオールで開催されているんだそうだ。サミットと言ってもスパーじゃないG7の方だ。コーンウォールというと、文字通りLand's End(地の果て)。それから、トリスタン伝説の土地。最初はケルトの伝説だったそうですが、そのうちヨーロッパ諸国に広がっていきます。イギリスではトリスタンはアーサー王伝説に取り込まれて、湖上の騎士ランスロットなどとともに、「円卓の騎士」にも連なります。ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』では、マルケ王の居城があったのがこのコーンウォール。イゾルデ姫の故地がアイルランド。そしてトリスタン最後がブルターニュということになっています。ワーグナーの作品の中でもとりわけ音楽の酩酊感が強い作品じゃないかなと思います。

ワルトラウト・マイヤーのイゾルデで「イゾルデの愛の死」。1995年のバイロイトです。荒涼とした舞台です。愛の死は7分50秒あたりから。

同じマイヤーとバレンボイムで、コンサート形式の「前奏曲と愛の死」。